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面河村誌

(三) 過疎化問題

 過疎という言葉が公的に使われたのは、経済審議会が昭和四十一年に発表した「中間報告」が初めてであるといわれる。その中で、「都市への激しい人口移動は、人口減少地域にも種々の問題を提起している。人口減少地域における問題を〝過密問題″に対する意味で〝過疎問題″と呼び、過疎と人口減少のため一定の生活水準を維持することが困難になった状態、例えば防災・教育・保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することを理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従事の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じつつある。」と述べている。 本郡はもとより本村の場合人口減少・人口密度の低下・年齢別人口構成の片寄りなど、前述のとおりであって、これらは地域の協同生活・生産活動に大きな問題を投げかけている。
 過疎問題をひきおこした直接的要因は、人口移動、つまり産業構造の変化に伴う労働力の都市への集中である。その背景は、戦後の高度成長政策の進行を核として推し進められた地域開発計画にあって、しかも密・過疎を解消するという政策目標を掲げた地域開発が、実は、新しい
過密・過疎を生み出したものと考えられる。