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面河村誌

(二) モノレール

 農作業の運搬手段として、面河村に初めてモノレールが取り入れられたのが、昭和五十一年六月、若山字地蔵谷から、約四〇度前後の急傾斜地を、字トウクロの山畑まで、延長四二〇メートル、八馬カエンジン、負荷力二五〇キログラム、押ボタン式操作、総工費約一四〇万円、伊予市光永産業株式会社の施工、菅政喜の自家用モノレールである。
 自然と文化が直結、走る速度が人の歩くほどこのせちがらい浮世に超然とした一種のぜいたくさえ感じさせる。
 二五アールの茶畑の生葉・肥料など、やがて造成さるる予定の、三〇アールのプラム畑の、肥料・果実などの運搬に使用されるのである。
 商品性のある農産物の栽培に、本腰で取り組むとすれば、その立地条件と兼ね合わせ、機械化は時代の要請であり、その着想は称讃に値するものがある。
  追補
  (一) 県道土佐街道ー国道三十三号線
       むごいもんぞや明神馬子は 三坂夜出て夜もどる
      三坂越えすりや雪降りかかる 戻りや妻子が泣きかかる