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面河村誌

一 上黒岩遺跡

 昭和三六年(一九六一)、上浮穴郡美川村上黒岩で、縄文早期の人類の住居跡が発見され人々を驚かせた。
 地下五メートル、第九層といわれる最も古い住居跡にあった木炭片は、アメリカ・ミシガン大学の炭素放射能判定で、今から約一万二〇〇〇年前のものであると知らされた。
 我々人類の祖先が地球上に現れたのは、約五万年前といわれている。石器を使って、鳥獣・魚貝などを取って生活していたらしいので、この時代を石器時代、特に旧石器時代と呼んでいる。
 今から約一万年前になると、日本列島にも人類の居住跡が見られる。そして食物貯蔵などの必要から、土器を作るようになった。日本で最初に作られた土器には、縄目の模様がつけられているので、これを縄文土器と呼んでおり、このような土器の作られた数千年間を縄文時代と呼んでいる。
 上黒岩の第九層からは、槍先に使用された尖頭石器が出ている。そして、縄文時代早期の隆起線文土器も出ているので、上黒岩岩陰遺跡は、縄文時代早期のものと思われる。しかも、この遺跡を今から約一万二〇〇〇年前のものと信ずるならば、日本の縄文時代は、今まで考えられていたよりも、ずっと早く始まっていたことになる。したがって、上黒岩遺跡は、縄文草創期の遺跡といえるかも知れない。 
 しかし、この遺跡を残した人々は現在の久万山人につながるものではないと考えられる。縄文時代数千年間に続く弥生時代になると人間の生活が進んで、稲作を行うようになる。水田耕作が始まると、このような山地は見捨てられて人々は平地へと移動して行く。
 歴史は平地から始まる。この遺跡の人々の去った後は、しばらく、人の住まぬ土地として忘れ去られる。そして、久万山に改めて人の住むようになったのは、平地の人々の増加によって、しだいに、山間の地にまで開拓が進んだからであろう。