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面河村誌

面河村誌発刊にあたって

 家には家系があるようにそれぞれの地域にはそれぞれの歴史と伝統があります。お互いの先祖を知り地域のルーツを知ることは地域づくりや人づくりの上でも極めて重要なことといわなければなりません。
 私たちの面河村には、源平の昔からの平家の落人部落とか、木地師の郷の物語とかいろいろの伝承がたくさんあります。しかし、生活様式の近代化に伴い言い伝えの伝承もとだえがちになり、なお、村内における史実的な資料も乏しくこのままにしておけば、私たちは一生身近かな地域の歴史も知らず、また、乏しい資料も散逸してしまうおそれが多分に出てまいりました。
 昭和四九年には村名改称四十周年記念式典が盛大に挙行されましたが、これをきっかけに住民の間では村誌編纂の気運が急激に高まってまいりました。
 昭和五十年二月には、三六名からなる面河村誌編纂のための委員会が発足し、郷土誌の権威伊藤義一先生を編集顧問として御指導を仰ぐことになりました。しかし当初計画したように資料の収集が思うように進まず、ために昭和五十二年十一月から中川武久氏を専門委員として委嘱し編纂業務を推進することに努めたのであります。編纂の大綱はこれを一三の部門に分け①自然②歴史③人口④交通・通信⑤自治⑥産業⑦観光⑧特殊開発⑨教育⑩広報活動⑪民族・文化⑫生活⑬将来の展望として構成し編集活動を開始いたしました。人件費等は数次にわたり補正に補正を重ね編集に努力をしたのでありますが、いずれも見込が大きく違い、この上さらに補正することは住民感情よりしても好ましくないという声が議会内部より起こり、我々理事者としてもこのような意見を尊重する方針を決定したのであります。ただ、その時点で未着手の⑤自治⑥産業⑦観光⑧教育の四部門については、村内学識経験者である小中学校校長先生がたが責任者となって、昭和五十四年度を最終目標に是が非でも完結するということで決定されました。
 長い歴史と伝統を持つ我が郷土、特に戦後急激に変わりつつある我が故里のあらゆる現象をあらゆる角度から解明していくことはたいへん難しく困難を極めたのであります。しかし編集を受け持っていただいた各委員や諸先生がたの積極的御努力が実を結びここに本誌の完結をみたのであります。本誌の刊行を契機として私たちは面河村の過去と現在さらに将来に思いを致し、正しく面河村を認識するとともに先人の残された偉大な業績をしのび継承して今後一層発展していくよう努めたいと思うのであります。終わりに臨み本誌の刊行に当たって編纂の労をおとりいただきました編集委員のかたがた並びに資料の提供に積極的な御協力をいただきました村内外有志の皆様がたに対し深甚なる感謝と敬意を表わしますとともに、出版に当たりましては最新の技術を駆使してりっぱな製本をしていただきました株式会社ぎょうせいに対しこれまた深甚なる感謝と敬意を表明致しまして発刊の御挨拶と致します。
  昭和五十五年二月
                     面河村長 中川 鬼子太郎 

愛媛県 面河村 全図

愛媛県 面河村 全図