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久万町誌

一 地方教育行政制度の変遷

 終戦による戦時教育体制の廃止に伴い、我が国の教育を管理するために、総司令部(GHQ)のなかに民間情報教育部が設けられた。その指導のもとに、民主社会をつくるための新しい教育体制がつくられていった。その根幹となったのは、学校制度の改革であって、昭和二二年三月に国民学校令、中等学校令等が廃止されるとともに教育基本法と学校教育法とが公布され、新しい学制が整備されることになった。
 戦後、地方自治尊重の観点から、地方制度に諸種の改革が行われた。それまでは、地方公共団体の設置する学校の教師は、国によって任命される官吏であった。学校を設置する都道府県や市町村は、学校経費の負担団体にすぎなかった。
 ところが、戦後の地方制度の改革によって、都道府県も市町村も独立の自治体として、学校の施設、設備等の物的面、教職員等の人的面、学校の運営管理の面すべてにわたって、直接に責任を負うこととされた。そして、国は、これら地方公共団体の教育事務の執行について指導、助言、援助または勧告を行う等の指導行政によって我が国の教育を推進することになった。戦後のこうした動きの中で、日本の教育水準を高め、教育の自主性、独立性を保障するためにはいかなる教育行政制度を確立すべきかが検討された結果、誕生したのが教育委員会制度である。この教育委員会制度は、幾多の問題を内包しながらも、地方自治の理念に立脚した教育行政制度として多大の成果を収めてきたのである。戦後一〇年の地方教育行政制度の変遷は、教育委員会制度の変遷といっても過言ではない。
 戦後の教育面における連合軍の占領政策は、教育制度及び教育内容を民主化する線に沿って進められ、昭和二一年三月、第一次米国教育使節団報告書が発表され次のように提議された。
 すなわち、「初等及び中等学校の教育行政について、文部省の行政的管理権を削減し、都道府県及び地方的学校行政単位に移管し、地方分権をはかること。都道府県及び市町村には、一般民衆の投票により選ばれた人たちによって構成される教育行政機関を設置すること。この機関により、教育指導者を任命すること」というのである。これが我が国における教育委員会創設の発端となっている。
 次いで教育刷新委員会が設けられ、教育使節団報告書に盛られている勧告を実現するために、具体策を企画・立案して、日本政府に建議を行った。昭和二一年一二月の第一回建議で、市町村及び都道府県に一般地方行政から独立した公選の委員により構成された教育委員会を置き、中央統制を排して自治的に管内の教育行政を行わせること、数府県を一単位とする広域を所管する地方教育委員会を置き、これに府県間の教育行政の不均衡の是正を行わせることを勧告した。
 また、昭和二三年四月にふたたび教育委員会制度について、当分の間、府県及び市(特別区を含む)にのみ教育委員会を置き、町村については学務委員を置くことを勧告した。
 政府は、米国教育使節団の勧告及び教育刷新委員会の建議に従って具体立法を進め、第二回国会に提案し、慎重な審議の末、政府原案に次のような修正が加えられて、教育委員会法が制定され、昭和二三年七月一五日公布された。
  ○府県、市及び人口一万以上の町村は単独設置で、一万以下の町村は一万以上の組合(特別教育区)を作って、これを設置すること。昭和二三年度は、都道府県と市は義務設置とし、他は二五年度に設置すること、となっていたのを、昭和二三年度は都道府県と五大市のみ義務設置で、昭和二五年までに全市町村に単独設置と修正。
  〇現職教員等の教育委員立候補を禁止していたのを、当選後の兼職を禁止するにとどまるように修正。
  ○委員は無報酬で、実費弁償のみを受けることとされていたが、報酬をも支給されるように修正。
  ○教育委員会は常に教育長の助言と推せんとによってその権限を行使することとしたが、教育委員会は、その権限を行う場合に、教育長の助言と推せんを求めることができるということに修正。