データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

2 し尿処理

 し尿は、下肥あるいはこやしともいって、肥料として使用するため、農家は年貢を払って非農家のし尿をも農地に還元するなど、農作物の生産に重要な役割をはたしていた時代もあったが、衛生思想の普及と、安価で取り扱いやすい化学肥料の使用等により、し尿は、農業生産の場から敬遠されはじめ、肥料としての位置から廃棄物となった。
 それがため非農家は、松山、高知方面のくみ取り業者に依頼して処理していたが、くみ取りが遅れたり、高額のくみ取り料を請求されるなどの苦情がしばしば聞かされた。
 昭和三八年五月、相原芳文氏がくみ取り自動車を購入し、町民によるくみ取り事業が始められたのでこの問題は解決した。
 更に昭和四五年、関係法律の改正により、し尿くみ取りは自治体の事業に規定された。このため町は、これまでの事業者久万清掃に委託し、町内全域を対象にくみ取り業務を行い現在に至っている。
 昭和三八年当初の利用者は、二〇〇戸程度であったが現在では住民の約九〇%が利用している。くみ取ったし尿は、林地等への土地還元、あるいは溜つぼによる地下浸透などで処理していたのであるが、衛生面での批判も多く、また処理機能にも限界がくるようになった。そこで衛生的で恒久的な処理施設の建設計画が進められ、現在地を買収し久万町環境衛生センターを建設し、郡内五か町村の共同事業として、昭和四二年、四三年度に総事業費四九一三万五○○○円を投じて、酸化処理方式による一日一五㌔㍑処理能力を建設した。
 これにより郡内のし尿は、衛生的に処理されるようになった。(昭和四八年四月より上浮穴郡生活環境事務組合に統合、以後は組合の事業となる。)
 その後、し尿の収集量は年々増加する反面、施設が老朽化して能力が低下してきたため、昭和四九年、施設の改良工事を行うとともに、一日一〇㌔㍑の処理施設を増設した。また、逐次増えつつあるし尿浄化槽の汚泥処理施設を昭和五二、五三年度の継続事業として増設した。

し尿収集量の推移

し尿収集量の推移