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久万町誌

1 ごみ処理

 久万町におけるごみ処理事業は、昭和二五年にはじまる。当時はごみの量も少なく、委託を受けた大野石太郎氏は、退職するまでの二〇年間、大八車を引きながら住安町から曙町までと菅生の一部のごみを収集処理していたのであるが住民の生活水準の高まりとともにごみの量も増え続けた。
 また、不用になった耐久消費材やプラスチック類、空きかん、空びんなどのごみが多くなり、ごみをすべて自家処理していた農家でも不燃性ごみの処分に困るようになった。
 昭和四五年、廃棄物の処理及び清掃に関する法律が制定され、自治体の収集区域は前記の特別収集区域から町内全域に拡大された。
 町では、昭和四四年に全町収集を計両し、同年一二月、二㌧積パッカー押込式のごみ収集自動車を一台購入するとともに町内に一三八か所のごみステーションと、一四二か所に不燃物収集かんを設置して可燃性ごみと不燃性ごみを分別して定期日収集を実施し、変わりゆく住民生活に対応した新しいごみ収集体制を確立して現在に至っている。
 一方、処理体制としては、昭和三五年、一日処理能力三㌧の焼却炉を上野尻に建設して可燃性ごみを処理するとともに、ヒワダ林道わきの町有地に不燃性ごみ捨て場を、また、昭和四六年には、新たに開設した環境センターにガラス破砕機を設置するなどしてごみを処理してきたのであるが増え続けるごみの量と、焼却炉が老朽化するなど、完全処理が困難となり、新しい施設が要求されるに至った。
 ごみ処理の問題については、郡内の各町村とも同じように苦慮していたので、昭和四七年、久万地方清掃事務組合(久万町、美川村、面河村、柳谷村)を設置し、一日の処理能力二〇㌧の機械バッチ式焼却炉を現在地に建設した。
 昭和四八年には、ガラス破砕機と金物類圧縮機を併設し、多量に排出されるごみ処理に対応している。(久万地方清掃組合は、昭和四八年四月から上浮穴生活環境事務組合に統合された。)

ごみ収集量の推移

ごみ収集量の推移


施設の概要

施設の概要