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久万町誌

3 消防団

 ア 合併前の消防団
  ○ 結成当時
 終戦後、警防団は解散することになり、団長以下全員辞表を提出した。警防団当時は、物資不足と若人の不足による団員の老齢化が目立っていたが、新たに編成されることになった消防団は、終戦によってにわかに増加した復員軍人・徴用解除者・疎開者等の若人によって編成された。団長には、経験と手腕、信望によって山之内敬義が選任された。
 新たに編成された消防団は、前述のように団員は若返り、しかも、ほとんどの団員は復員軍人や軍事訓練を受けているもので占められ、紀律・統制などの面については実に目を見はるものがあり、町民の信望を集める結果となった。水防法の布告によって、久万町では、消防団が水防団も肩がわりすることになって、火災・水防の両面で活躍をすることになった。
 このように団員は更新され立派で申し分のない編成になった半面、その装備たるやまことにはずかしい貧弱なものであった。長い戦時下にあって極端に物資は不足し、耐乏生活は警防団も例外ではなかったため、施設・装備は老朽化し、消防団の主力であるポンプも使用に耐えかねる状態で早急に装備の改善が必要とされていた。町民の間でも、火事場に臨んでじゅうぶん役に立たないポンプには不満を感じ出し、やがては、消防団の不信を述べる者さえも出るにいたった。また、団員の間にあっても装備の貧弱性と、そのため思うような活躍が制限されるので不満もあらわれ、団の運営におもしろくない様相が見え出した。
 幹部の者はこれを深く心配して、早急に装備の改善方を町当局に要望することを役員会で決定し、町長・町議会に陳情することにした。
 昭和二五年二月一四日、団長山之内敬義は、副団長、分団長とともに、第三回久万町臨時議会に出席して、町長井部栄治、議長久野謙三をはじめ、議会人、町理事者全員を前に、消防団の現状を報告するとともに、ガソリン自動車ポンプの必要性を熱涙をこめて陳述し、この際町当局においては、何を置いてもまずさきにガソリン自動車ポンプ一台の購入が先決であることを要望した。
 この時に陳情した昭和二四年度消防団の実態は次のとおりである。
  一、受付件数    八八件
  二、発信件数    五二件
  三、火災件数     一件
    林野火災     一件
     損害見積   一万円
  四、ガソリンポンプ
   森田式手挽四輪ガソリンポンプ  三台
     内 一台 使用に耐えず
  五、団員数
   団 長       一名
   副団長       二名
   分団長       五名
   班 長      二五名
   団 員     二一五名
    計      二四八名
  ○ 消防団と興行
 消防団結成当時、久万町の大字久万を中心とした第二分団は、分団長高岡晋作のもとに団員約八〇名をもって編成され、団結力と精鋭をもって知られた分団であった。 
 本団においては、町財政の貧弱性もあり、長く戦時下にあって耐乏の生活を余儀なくされていたため、各分団の詰所や、ポンプ蔵置所も荒廃するにまかせて、修復もできていない状態であった。そこで、団長山之内敬義は、蔵置所や詰所の改修が必要であることを痛感し、町当局に対してたびたび陳情や申請をこころみた。町としては、当時の条例によって、かかる事業は町民の寄付金をもって充てることになっており、合わせて町財政の貧弱性もあって、町費をもって施行することは困難であった。そこで、消防団としては自力によって、ポンプ蔵置所や、団員詰所の改修を行い、合わせて、「団員相互救済資金」の積立事業も急を要すると考えた。そこで、何とかして収入のある事業を行いたいものと、役員会を再度にわたって開いた。その結果、日本大相撲一行を迎えて興行することになった。団長山之内敬義は、単身で、巡業中の大相撲を高知に訪ねて交渉した結果、快諾を得たので急ぎ久万に帰った。その翌々日、先発の準備役が乗り込み、あわただしく土俵の準備を行った。一方では、各団員の協力によって、郡内各消防団に依頼して前売券の販売から、観覧席の組み立て等を行い、昭和二五年一二月八日、一日限りの開幕となった。
 当日は、長い間の耐乏生活を余儀なくされていた町民はもちろん、川瀬村、父二峰村をはじめ郡内外の各村より多くの見物人が早朝から押し寄せ、開始時間前にはすでに満員締切りという盛況ぶりであった。しめ出された大観衆は、運動場のあちこちで行われている力士の野げいこを見て満足するといった状態であった。久しぶりに町民は満足感を味わい、興行主である消防団に対して感謝の念さえいだくにいたった。
 しかしながら、消防団ではこの興行について、必ずしも問題がなかったわけではなく、各分団の協力体制から必要経費等の面についても分団に意見の相違があった。そこで、こうした事業を消防団として継続することは困難として、これを一回で中止することに決まった。
 第二分団では、前記事業については主役で推進した関係もあり、意見はあくまでも統一されていたので、第二分団単独事業として今後は行うことを決定した。そして、日本大相撲大関吉葉山一行の興行をはじめ、映画・浪曲などの興行は一〇回にもおよんだ。いずれも超一流のものばかりであった。
 特に浪曲などの場合は、久万町などの山間には来ることのないような超一流の浪曲師が一〇名も揃った大興行であったため、第二分団の興行は郡内でも有名なものとなっていた。その後は、テレビの普及によって、興行の必要もなくなり、町自体でも相互扶助や救済資金も条例によって積立てができることになった。そこで、第二分団では剰余金をもって高知方面に研修旅行をして清算をした。
 イ 合併後の消防団
  ○ 久万町消防団の発足
 昭和三四年三月三一日、久万町の合併により旧町村消防団(久万町二〇三名、川瀬村一三七名、父二峰村一二二名)を解団し、これに美川村の一部槙谷地区を合併して、四分団一一部・定員四八〇名からなる久万町消防団を結成した。同年四月三日、結団式を挙行して団長に佐伯清文を選任、消防機材(三輪ポンプ一台・手引動力ポンプ一台・小型動力ポンプニ七台)を配置し、名実共に充実した久万町消防団を発足させたわけである。
  ○ 第一次消防団機構改革
 昭和四〇年四月一日、消防団機構の再編成により、四分団一二部・定員三七五名となる。
 この再編成問題は、消防団幹部や消防委員によって重要な問題として取り上げられ、関係者が先進町村の研修視察などを行い、約一ヶ年にわたって慎重審議し改革を行ったのである。
 再編成した理由としては、①過疎化により、地域によって団員の確保が難しく、分団単位の人数の均衡がとれなくなったこと。②ポンプ自動車の購入により、配置上の問題について基本的に検討する必要が生じたこと。③道路網が整備されたこと。④小型動力ポンプが充実したこと等が挙げられている。
 また、小型動力ポンプは年次計画によって更新し、ポンプ車やポンプ積載車も年次的に購入配置して、消防機材の充実を図ってきた。
 ・ポンプ自動車購入  三七年一二月 配置場所 第二分団第一部
         (四九年一月 第一分団第三部へ配置替)
     〃      四八年一二月 配置場所 第二分団第一部
 ・ポンプ積載車購入  四四年 八月  〃   第一分団第二部
     〃      四五年一一月  〃   第三分団第一部
     〃      四六年 九月  〃   第二分団第二部
     〃        〃     〃   第三分団第三部
     〃      四七年一二月  〃   第四分団第二部
     〃        〃     〃   第四分団第三部
     〃      四九年 九月  〃   第三分団第二部
  ○ 第二次消防団機構改革
 昭和四八年四月一日、消防団機構の再々編成により、四分団一四部となり、現在に至っている。定員は三二五名となる。
 昭和四四年ごろから消防力の増強、特に機動力の整備を重点とした年次計画を立てて、ポンプ積載車などの装備の強化を図ってきた。ポンプ積載車の購入により、団員の配置と削減が検討され、今回の機構改革となった。
  ○ 第三次消防団機構改革
 昭和五三年四月一日、時代の要請により上浮穴郡内五ヶ町村による広域の常備消防、上浮穴消防本部・消防署が久万町大字上野尻に設立され、消防職員二八名で業務を開始した。
 広域常時消防署の設立や消防機材の整備充実、行政改革等により、昭和五九年頃から団員削減について消防団幹部会や消防委員会で検討の結果、昭和六〇年度から三ヶ年計画で約五〇名の削減を決定した。このことにより、昭和六三年九月定例議会において定員二七五名となる。
 当町は石油貯蔵施設立地対策等交付金の対象区域に該当するため、昭和五三年度からこの事業を実施して、年次計画により小型動力ポンプ・ポンプ積載車・車載無線機等を更新・整備することができた。
    主な石油貯蔵施設立地対策等交付金事業
 昭和五三年度  小型動力ポンプ 二台    入野・二名
 昭和五四年度  ポンプ積載車・車庫 各一  東明神
 昭和五五年度    〃   ・ 〃 〃   上畑野川
 昭和五六年度  小型動力ポンプ 三台 上野尻・上下畑野川
 昭和五七年度  小型動力ポンプ 三台 西明神・下畑野川・下直瀬
 昭和五八年度  ポンプ付積載車(リモコン)  一台 西明神
 昭和五九年度  広報指令車 一台 車載無線機 五台
 昭和六〇年度  小型動力ポンプ 三台 上野尻・中ノ村・上直瀬
 昭和六一年度  車載無線機 六台 ポンプ積載車 一台 下畑野川
 昭和六二年度  ポンプ積載車 二台  下直瀬・二名
 昭和六三年度               上野尻・露峰
    久万町消防団表彰歴
 昭和三七年 一月 八日 愛媛県消防協会 竿頭綬
 昭和三八年 二月一一日 日本消防協会 竿頭綬
 昭和四〇年 二月一一日        表彰旗
 昭和四九年 一月 八日 愛媛県知事 竿頭綬
 昭和五三年 五月二九日      表彰旗
 昭和五四年 三月 五日 消防庁長官 竿頭綬

合併当初における消防団機構及び装備

合併当初における消防団機構及び装備


装備状況及び定員(昭和34年4月1日)

装備状況及び定員(昭和34年4月1日)


機構改革による久万町消防団編成表(昭和40年4月1日)

機構改革による久万町消防団編成表(昭和40年4月1日)


第2次機構改革による装備及び定員(昭和50年4月1日)

第2次機構改革による装備及び定員(昭和50年4月1日)


久万町消防団機構及び装備(平成元年4月1日現在)

久万町消防団機構及び装備(平成元年4月1日現在)


装備状況及び定員 歴代消防団長

装備状況及び定員 歴代消防団長