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久万町誌

1 県議会

 愛媛県における県議会の草分けは、全国に県議会ができた明治一二年より七年も前の、明治五年五月に石鉄県(旧松山藩が松山県となり次に石鉄県と改称した)の参事(知事)本山茂任が「石鉄県衆議会」を作ったのが始まりである。この議会の要領は、毎月七日を会議日ときめて「土民中意見あるもの出頭して建議すべし」と布告し、更に翌年の一月には「石鉄県集議所」と改称されたが、その趣旨は次のようなものであった。
  「県官は人民に代って事を司るものにして、人民の総代ともいふべし、人ごとに議すべからず。
   人民に代って議すべき権あるは、戸長等の村吏および富豪人等なり、故にこれを議員と定め、毎月一五日を会期とし、庁中に議場を開く。人民意見ある者は何人にても出席を得、若し事故あらば、書面を以て建議するも妨げなし。」
というものであって、やや特権意識は潜んでいても、民権思想は、はっきり貫かれていたようである。
 その後明治一〇年五月に「愛媛県会規則」が各大、小区長に伝達された。その内容は「県会綱領・議員選挙規則・議事規則・雑則」の四章、五五条にわかれていて、人口二万に対して議員一名の割合になっていた。当時は現在の香川県も含めたものが愛媛県であった時代で、議員定数は伊予から三九人、讃岐から三一人を選び任期は二年とした。
 伊予各郡の議員定数は
  宇  摩  郡 三   新  居  郡 三  
  周布・桑村両郡 二   越  智  郡 五
  野間・風早両部 二   和気・温泉・久米・下浮穴郡 六
  上 浮 穴 郡 一   伊  予  郡 二
  喜  多  部 四   西 宇 和 郡 三
  宇 和 町 地 区 一   野 村 地 区 一
  北 宇 和 郡 五   南 宇 和 郡 一
であった。
 仮規則の前文によると、
 「凡ソ県内大小ノ事、衆庶ノ公議ニ出テサレハ平等中正ノ議ヲ尽スヲ得ス。然レトモ管下人民壱百三十除万、人毎ニ諮リ戸毎ニ詢ル日モ亦足ラストス、此故ニ自今公選ノ方ヲ以テ人民ノ代議人ヲ定メ、本県々会ヲ開設セシメ永ク公明ノ利益ニ係ラシメントス、此段布達候事」
 この規則によって五月の第四水曜日に第一回の選挙が行われた。規則によると議員の資格は、その大区内の居住者で、地面、家作等の不動産を所有している二〇歳以上の戸主であることが規定されていた。また立候補の制限がなく、選挙人二に対し被選挙人が一の割合で、かなりの混乱が予想されたが、その結果は予想外に票が集中して、さして混乱は起こらなかった。
 この結果、第一四大区からは久万町村の鶴原太郎次が当選した。他の地区では当選者が、あわてて辞退する者、病気を理由に辞退するものなどが相次いで出たそうである。
 第一回県会は、明治一〇年六月二二日、二番町英学所の後身、愛媛県変則中学北予学校で開く旨、各議員に通知されたが、歳費はなく、旅費、日当を支給するだけであった。しかし、みんな真剣であったから、山坂を越えて三日も前から松山に集まった。欠席の手続きもきびしかった。病気のため「御暇願」を出し、これに区長、医師の証明書をつけて提出する議員や、「欠席謝罪状」を出した議員もいたほどである。
 このようにして開会の前日には全員が会場に臨み、県令岩村高俊は議員を前にして挨拶及び訓辞を行った。その時の議事録を見ると次のとおりである。
  「県会議場ニ臨ミ全議員ヲ整列セシメ、今般ノ来会ヲ慰問シ、次ニ議員ニ向ツテ演述シテイワク、今回頒布スルトコロノ県会仮規則第三ノ条ノ如ク議長以下ノ役員ヲ選挙スベシトイエトモ、東西遠隔ノ議員常ニ交際アルニ非ス、故ニ議長以下役員ヲ投票スルノ見度恐ラクハ目下立チ難カランカ、モツテ今仮リニ両三日ハ県会ノ特選ヲモツテ、各役員ヲ定ムルカ如何、都築温答ヘテイワク、当分県会ノ特選ヲ可トス松本貫四郎ホカ両三名、異議アリ。」
 この期間中に議長小林信近が選挙され、「民費、学費、警察費」などの予算案が、主な議題であった。第二回は明治一一年四月一二日から一六日間開かれ、第一回と同じく「民費、学費、警察費」の予算が主な議題であった。
 同年七月には国の法規による府県会規則ができたので、特設県会は二回で終わることになった。
 太政官布告による「府県会規則」によると、被選挙人は満二五歳以上の男子で、その府県内に本籍を定めて三年以上居住し、その府県内において地租一〇円を納める者であること。選挙人は満二〇歳以上の男子で地租五円以上納める人、となっていた。
 議員の任期は四年であったが、二年ごとに半数を改選する定めであったので、第一回の二年期の議員は改選するものを抽選で退任を定めた。
 当初の議員で上浮穴郡関係者を挙げると次のとおりである。
   明治一〇年  仮設県会  一四大区
           鶴 原 太郎次  一小区久万町村  平民
   明治一三年  上浮穴郡改選なし
   明治一五年  半数改選  上浮穴部
           梅 木 源 平  西明神      平民
   明治二一年  上浮穴郡改選なし
   明治二二年  県議名
           二 宮 益 雄  小田町村
           佐 伯 義一郎  久万町村
           加 藤  彰   
   明治二三年  半数改選
           山 内 門十郎  弘形村      平民
   明治二五年  半数改選
           山 内 誠十郎  明神村      平民村長
   明治三二年  議員名
           二 宮 篤三郎  石山村      平民商
上浮穴郡選出県会議員名
   鶴 原 太郎次   久万町村
   梅 木 源 平   西明神
   二 宮 益 雄   小田町村
   佐 伯 義一郎   久万町村
   加 藤  彰
   二 宮 篤三郎   石山村
   久 松 貞 夫   田渡村
   山 内 門十郎   有 枝
   船 田 武 平   久万町
   大 西 平三郎   久万町
   高 橋 精一郎   久万町
   正 岡 慶 三   西明神
   都 築 九 平   小田町村
   菊 池 卯 平   参 川
   大 野 助 直   田 渡
   新 谷 善三郎   仕七川
   菅   広 綱   面 河
   井 部 栄 治   久万町
   八 木 菊次郎   久万町
   田 中  執    明 神
   吉 岡 好 吉   美川村
   中 田 千 鶴   父二峰
   大 野 貴 義   畑野川
  昭和四二年より定員一名となる。
   中 田 千 鶴  二期 昭和五十年四月十三日まで
   小 田 慶 孝 (久万)昭和五十年四月より現在