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久万町誌

2 国道三三号線整備促進期成同盟会

 昭和四二年八月、現在の国道が完成し県都松山市と高知市を結ぶ最短幹線道路として、産業発展の死命を制する重要な役割を果たし住民の生活文化の向上に大きく貢献して来た。しかし、今日経済社会の変化に伴い激増する自動車交通、車輌の大型化によるモーターリゼーションの波は、交通混雑、交通事故の増大をまねき交通規制の強化等は、高速時代を迎えた今日の道路として機能を充分発揮することが出来ない現状であり、早急な整備促進が望まれている。
 特にこの三三号線は、標高七二〇㍍の三坂峠を越えており山間部にあたるため勾配がきつくカーブも多く、しかも峠附近では、冬になると積雪凍結がひどく四季には濃霧が発生し三三号線最大の隘路となっていた。
 県境附近は、災害に弱く雨量二五○ミリを超すと、全面通行止めとなるなど災害に非常に弱い国道である。
 このため、昭和六一年二月一六日、松山高知を結ぶ幹線国道三三号線の早期改良をと、愛媛、高知両県の沿線一五市町村で設立し「国道三三号線整備促進期成同盟会」(会長、久万町長、河野 修)が、建設省四国地方建設局長、国会議員の諸氏を始め多数の来賓の御臨席を得て、盛大に総決起大会が開催され、その後改良促進を図るため活発な運動を展
開している。
 昭和六二年度予算に、三坂トンネルの計画可能性をさぐる初の調査費が計上され、平成元年度には、地質調査にまで取りくむ事態となり、地元では「悲願達成に向け大きな前進」として喜んでいる。