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久万町誌

1 古来よりの金融

 古来より、庶民の金銭に対する感覚はするどく、早くから金融制度として様々な方法が確立され、その大部分は、現在の制度として存続されている。
  ア 質 屋
 質による金融は相当古くから行われており、大宝律令(七〇一年)にその規定がみられるということである。その発達と普及は、貨幣経済が安定し、確立された江戸時代である。久万町においても、藩政時代には既に質屋があったとみられる。
 質屋は、当座借りの利点と、手続きの簡便さをもっており、最も大衆的な小口金融機関である。大部分は消費的金融であるが、営業費がかかるため金利は一般的に高い。金利は月一割前後で、期限は三か月というのが最も多かったようである。
 金策の一時しのぎに、一般大衆の利用度は高く、明治四三年には四軒、昭和二八年には二軒、昭和四一年には一軒となった。質ぐさは身の回り品、衣類が多いが、時計、カメラなどの品も多くなっている。
  イ 頼 母 子
 頼母子あるいは無尽ともいわれているものである。戦前までは盛んに各地で行われていたようである。主に組内の貧困者の救済を目的として行われていたようであるが、家の新築や牛馬の購入などにも利用されていたようである。現在は、各和金融機関の発達により影をひそめたが、一部では行われているようである。
 無尽は、頼母子に似た方法で加入者を募り、落札の順番を決めていく金融であり、最近まであった相互銀行のもととなっている。
  ウ 高利貸し
 利息制限法に定められている以上の高利をとって、金を融通する金貸し業者のことである。高利で金を貸し付けることは古くから行われており、鎌倉時代には既に金融業としての役割を果たしていたといわれている。
 江戸時代以降、商業機構の発展につれて種々の形態を示し、上は大名旗本などの武家から、下は商人、一般民衆まで利用していた。一般に利息は高く、返済期限も三か月くらいが最も多かった。返済できない場合は、担保物件を取り上げていた。このため祖先伝来の財産をなくし、無一物になった者、支払い能力がないため夜逃げをした者などもいた。このような例は久万町にもみられた。これは、限られた経済流通の中での封建的制度の悲哀ともいうべきことであるが、現在は、金融流通機構制度の拡充により、昔のような悲劇は少なくなったが、サラリローンという新たな問題も起こっている。