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久万町誌

二 合併後の商工業の概要

 昭和三五年以後、政府主導による事業実施で、年平均九%を超える成長率を占めるようになり、近代技術革新や流通機構の変革で、その労働力源として地方の若者の都市集中化が起こり、当町もその影響を受け年々人口が減少してきた。
 このことは、購買力の減少に直接つながり、必然的に合理化・近代化の遅れている商業者にとって痛手となった。
 また、自動車の普及や各交通機関の発達・国道三三号線の改修(昭和四二年)で久万~松山間の所要時間が大幅に短縮され町内はもちろん、郡内の顧客の松山流出があらわれるなどきびしさを増してきている。
 昭和六三年現在の商店数は、二二六戸・従業員数七一五人・販売額七八億円という規模であるが、業種形成にも特性がないため活気に乏しいといえるが、合併時にくらべ、昭和五○年代から飛躍的な増収が続いており高度経済成長がもたらした好調な波は今なお続いている。
 しかし石油ショック(昭和四八年)以後、庶民はエネルギー危機に対する商品需給の見通しに多かれ少なかれ不安を抱いており、省エネ志向が深く浸透するようになってきているのも事実である。
 このような状況にあって、地域経済に活力を与え、将来の商業の発展をはかるためには、商店街の近代化、企業の集団化等、かつ効果的な施策が必要であると、昭和五四年から商業近代化対策を摸索研究していたが、このほど地元八店の共同店舗と久万農協Aコープをドッキングさせたショッピングセンター計画が具体化してきたのは注目される。
 工業部門において、近年特に目立った助きはないが、昭和六二年現在工場数三一、従業員数四九三人、製造出荷額は約三三億円である。昭和三五年と対比すると、工場数で六の減であるが従業員数で二〇五人増加しているものの工業集積度は相変わらず低い。
 このうち、木材関連の工場が一〇あり、従業員数は一二五人で、年間の製材量は二万九八〇〇立方㍍である。(総素材生産額の二五%)
 昭和四四年に開設された県森連久万山木材市場を契機として現在、町内には五つの素材市場があり、有利性を生かして、一次産品に付加価値を与える工業の開発を図り、若年層の雇用の場を確保してゆかねばならない。そのほか、昭和四九年に操業を開始した株式会社クマテックスや、地元縫製関係の工場などがある。

産業別事業所数、従業者数の推移

産業別事業所数、従業者数の推移


卸・小売業・飲食店の推移

卸・小売業・飲食店の推移


工場数の推移

工場数の推移