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久万町誌

1 失業対策として始まった開拓

 終戦直後の開拓事業は、日本全国で、当時数百万人にのぼるといわれた復員軍人・海外引揚者、もと軍需工場職員や軍人失業者に職を与えるという目的で、昭和二一年五月に占領軍司令部が日本政府に対して、六〇億円の経費を予算に計上するよう指令したことにはじまる。
 開拓計画は、終戦直後の経済的、政治的混乱の中ですすめられたため、筋のないものであった。二二年、政府も「開拓事業実施要領」を定め、開拓事業をたんなる一時的失業対策としてでなく、農地改革とあわせて、専業自作農の育成と、食糧増産をはかる政策の一環として行うことにするとともに、入植者だけでなく、地元増反も大幅にみとめ、開拓事業の制度はようやく整えられていった。
 このころ開始された農地改革では、既耕地のみならず、未墾地も国が強制的に買収することがきめられていたため、開墾に適するとみとめられた林野は、どんどん地主から解放されていった。
 しかし、無一文で開拓地に入値した人たちは、はげしい開拓地の仕事と生活に耐えられず、離農していく人が多かった。開拓事業がいちばん盛んに行われたのは、昭和二二年から昭和二四年までの間であった。

入植地買収売渡実績

入植地買収売渡実績


地元増反買収売渡実績

地元増反買収売渡実績