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久万町誌

6 米の生産調整

 我が国の農業は、これまで二〇〇〇年間にわたり、水田による稲作を中心にして展開されてきた。農村経済を支えてきたのも米を中心としたものであり、生産農家は、技術の向上をはかり増産に向けて努力してきた。
 米の生産は、昭和四二年度から三年連続して一四〇〇万㌧台を記録し、その後も、単収の向上等によりこれに近い水準の潜在生産量が続いている。
 一方、米の消費量は、昭和三八年度の一三四一万㌧をピークにして次第に減少に転じており、一一〇〇万㌧以下となっており、米の潜在的需給のギャップは約三〇〇万㌧を越える水準となっている。
 こうした米の需給ギャップうめるために、生産調整が行われることになった。
 米の生産調整は、昭和四五年より過剰米処理対策として打出された減反政策である。
 昭和四六年から五〇年度までを「稲作転換対策」として、米の生産調整に重点を置き、昭和四八年度までの三か年は休耕も対象にした。
 昭和五一年から五二年度までは「水田総合利用対策」として、米の計画的生産及び食用農産物、つまり米以外の作物の自給力向上のための水田の有効利用に重点を置いた。
 昭和五三年から六一年度までのおおむね一〇年間は、これを数期に分けて「水田利用再編対策」として、長期的な視点に立ち、米の生産を調整しつつ、農業生産構造の町編成を図るもので、三年ずつを各三期に分けて実施するものであった。
 昭和六二年から平成四年度までの六年間を前期三年と後期三年間に分け、相変らずの米需給不均衡を調整するために「水田農業確立対策」として、水田を活用して生産される作物の生産性の向上、地域における輪作農法の確立及び需要の動向に応じた米の計画生産を生産者、生産者団体の主体的な取組みを基礎にして行政と生産者団体が一体的に推進するというものであった。
 生産調整等の基礎となる減反あるいは転作の面持は、国全体の面積が定まり、各県、各市町村に目標面積として示される仕組みとなっている。市町村では、生産者団体と行政が調整協議によって目標面積を効果的に消化実施できるよう方針を定め、各地域ごとに配分目標を示し、その推進を図るものであった。
 昭和四五年からの減反政策では、農業構造改善事業等による水田の基盤整備事業を実施中であり、整備可能な水田は計画的に整備し、不便で農機具の使用が困難な水田は山林に返すような指導を強力に進めてきたものであった。
 昭和四五年からの久万町の転作内容を見ると、特に四六、四七年は永年転作の山林転用が最も多い。普通転作では、トマトが集団転作として定着し、京阪神市場へ出荷量を伸ばしている。
 五四年からは土地改良通年施行面積が減反分として加わっている。
 今後有利な水田農業の推進のために、小規模団地化の推進、互助制度の導人、地域営農加算金の取得など、地域農業集団の話し合いによって計画的な取り組みについての研究を深めなければならないと考える。
 ア 米の政府売渡し状況
 昭和二七年から四二年までの農協支所別の米穀買入実績を集計したものと昭和四三年から六三年までの米穀政府売渡し実績を別表に示している。
 昭和五九年度からは多用途利用米の売渡しが始まった。

米生産調整実施状況(昭和45年~52年)

米生産調整実施状況(昭和45年~52年)


生産調整

生産調整


久万町全域(昭和53年~63年)

久万町全域(昭和53年~63年)


農協別米穀買入実績

農協別米穀買入実績


米穀政府売渡実績

米穀政府売渡実績