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久万町誌

4 木 炭

 久万町の山林は全面積の八九%を占めている。そのため、木炭の生産は山林王国にふさわしく、一時は一五~一六万俵の木炭を、松山はじめ、阪神方面に出荷していた。
 木炭の製法は、使用目的及び原木により相違するが、大別して白炭と黒炭に分かれ、築窯法による黒炭の生産が主をなし、農家の副業として生産されていた。炭窯は、山地内に土練で築かれ、炭材は秋から冬にかけて伐採し、適当な長さに玉切りをした材を、構築された窯に詰め込み、一〇日~一五日くらいかけて加熱し、二~三日くらいで炭化(詰込木か蒸焼の状態)させ、さらに精練消化(蒸消し)をして出炭する。それを六㌢ぐらいに玉切りし、俵(カヤで編んだもの)または紙袋に、一五㌔㌘~二〇㌔㌘入れたものを、農協または商人の手を通じ松山・阪神方面の卸商に売り渡していた。
 ただし、木炭検査制度ができる以前は、一俵の重量も五貫~七貫ぐらいのものであった。この俵を久万に集荷し、商人の手を通じ、松山の消費地に運搬していた。
 木炭の生産は、昭和三二年をピークに、植林熱の高揚と原木不足及び国民経済の向上に伴う科学の進歩により、化学燃料が普及し、昭和四二年は一五㌔㌘俵で年二万六〇〇〇俵の生産量となった。その後も生産量は減少し続け、昭和四五年以降は、ほとんど燃料としての販売はなくなったが、自家用としての木炭は、少量ながら消費もあり、久万町内でも数軒の木炭生産者が残っている。
 昭和五二年から、久万高原ふるさと旅行村では、自家用炭火料理用として、また、都市消費者のお茶炭用としての需要に応えるために、一回の生産量三〇俵余の炭焼窯があり、二か月に一回位の割合で窯出ししている。

木炭生産量(15kg俵)

木炭生産量(15kg俵)


黒炭価格(15kg)

黒炭価格(15kg)