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久万町誌

1 米

 久万に人の住むようになったのは一万年前。
 その当時は、原始林に覆われ野生動物の王国であったかもしれない土地が「久万」といつのころからかいわれるようになった。久万の地名が生まれたことについて、いろいろの俗説はあるが、その中の一つに「むかしは米を〝クマ〟と呼んだ。土佐から仁淀川を遡ってきた南方の米作民族が、山間のこの小盆地に住みついて米作りを始めた。それから〝クマ〟の地名が生まれた。」とあるを見ても、久万山の米作りは早くから進んでいたと考えられる。
 武家時代に入り、我が領する国土の行政をつかさどる費用のため、住民に地租として生産物(生産物は米に換算して課税され、物納または銀をもってこれに当てる)に対し課税し、御用米、御用金として収納所まで人肩または馬の背により、運搬納入させた。収納物は藩の費用をまかなうために御用商人を通じ売り渡されていた。やがて、これらの納税は、藩制時代の米から、金納制に変わるようになり、生産物はすべて商人の手を通じる商いとなり、当時の久万、松山間の米の価格差を見ると次表のように地域格差が現れている。
 価格差は、もちろん、種々の因子があろうが、特に両地間の交通不便に起因するものが大きいと考えられる。このことは、久万へ搬入される魚類・砂糖、その他の物資にも逆に働いて、当地の人々は、二重の交通負担を負わされていたわけである。
 その後明治二五年、松山・高知間の国道開通、大正九年の久万索道株式公社(久万~森松間六年間運行)となるまでは、すべて馬と人の労力による搬出であり、当時の百姓は、馬の一頭は飼ってた。
 大正八年 米の検査制度がしかれる。(松山・今治は強制検査)当時は入れ米として一俵(四斗)に四~五升ぐらいの入れ増しをする。品質本位の取り引き(松山との開きが依然として大きい)がなされる。
 昭和一一年 検査制度も強制となり、合格等級取引がなされるようになる。一~三等米は入れ増しをしなくなる。
 当時は、米の検査員(県の嘱託)の後から各米屋または酒屋(久万・総津・多賀市方面)の買子がついて回り、等級に応じて、農家より庭先買い取りをなし、買い取りした産物は、ところの馬力により、ふつう二俵、強い馬で二俵半を積み、川瀬方面は峠御堂をこえて久万へ、父二峰方面はヒワダ・ノウソ峠をこえて久万へ、ときには小田方面にも運搬していた。隊伍を組んだ馬が、一日二往復ぐらいしていた。
 久万に着き米屋の蔵入れを終わるまでは、現在の本町より曙町(旧国鉄駅前)まで、七〇~一〇〇頭余の馬が立ちならんで馬のいななきにあけくれ、道路の両側には飲食店が繁昌した。
 第二次世界大戦中の食糧不足が次第に深刻化してきた昭和一七年二月、「国民の食糧確保と国民経済の安定をはかるため、米麦の需給調整と配給統制を行う」目的で食管法が制定(昭和二七年の改正で麦類は間接統制に切り替えられる。)され、農家は強制的に供米の割当を強いられ、消費者には配給制度が実施された。
 食糧管理法の機能は当初の「食糧確保」から、今では「生産者保護(価格維持)」のため存続している。
 食糧管理法による「米価」は「生産費物価その他の経済事情を参しんし、米の再生産を確保する」ことを目的として、昭和二四年八月政府の諮問機関として「米価審議会」が設定され、主として米麦価の審議に当たり、政府は米価審議会の意見を聞いて生産者米価を決定している。
 従来の米価は、パリティ方式で過去の一定時期を基準として、その後の諸物価(統制品)の価格の変動率を米価にあてはめて、米価を割り出す方法であった。公定価格では入手できなかった肥料、農機具などの生産資材から生活用品まで一切を公定価格で評価した米価である。この場合基準となる年の米価が適正であるかどうかが問題である。ニ七年の米価基準は、二五・六年、三〇年は二八・九年を基準としている。しかし、米価は、他の諸物価に比較して必ずしも公平とはいえない。そこで、米価審議会は、農家の米生産費算出に当たり、農家の自家労働を都市労賃で評価することにより、米価が米生産費を償うとともに、農家に都市労働者並みの所符を確保する方法をとったのである。すなわち、「生産費及び所得補償方式」を採用して現在にいたっているが、米の流通を握る政府の統制管理がいつまで維持できるかが問題である。
 米は、換金作物の筆頭であったが、昭和四○年代に入って、生産量の伸びに比べて、消費量が減少し、米の過剰が問題となりはじめ、政府は昭和四五年から減反政策を打ち出し、奨励金を出して生産調整を実施することになった。米の生産調整については後記する。

年間平均米価・麦価・大豆価(石当たり相場)

年間平均米価・麦価・大豆価(石当たり相場)


米相場100年の変遷(石当り相場) 1

米相場100年の変遷(石当り相場) 1


米相場100年の変遷(石当り相場) 2

米相場100年の変遷(石当り相場) 2


米相場100年の変遷(石当り相場) 3

米相場100年の変遷(石当り相場) 3


米相場100年の変遷(石当り相場) 4

米相場100年の変遷(石当り相場) 4