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久万町誌

四 産業別人口動態

 第二次大戦後、日本経済の復興とその発展にはすばらしいものがある。特に、第二次産業・第三次産業を中心として発展は第一次産業、特に農業所得との格差を大きくし、その労働力を農村に求める結果となり、農村から都市への人口流出を刺激し、農山村の過疎化に拍車をかける要因となっている。
 昭和二二年から昭和六〇年までの国勢調査資料から第一次産業の就業人口比率の移りかわりを一〇年単位でみると、敗戦間もない二二年七七・一%であるのに対し、同三〇年六八・二%、同四○年五四・六%、同五○年四六・二%、同六〇年三七・二%、となっており、ほぼ一〇年間に一〇%程度ずつ減少してきたことを示している。
 その間、昭和二五年の朝鮮動乱、四七年に終結したベトナム戦争は米国よりの特需を増大し、第二、第三次産業の発達をうながし、好景気をもたらした。一方、第一次産業の農業経営はますます零細化の途をたどった。
 一方、他産業の振興は農業所得との格差を大きくし、農業経営の規模が問題となってきた。そこで都市への縁故就職を初め、昭和三四、五年ごろ、国の施策もあって、海外への集団農業移民、他産業への転職というように農業従事者は激しく流出していった。そのうち、一家をあげて離農していったものも多く、戦後入植した開拓農家の離農は、特に目立つものといえよう。
 また、第二次産業についてみると、同二二年の比率八・六%、同四〇年、一四・四%、同五○年一五・九%、同六〇年二一・三%と増加している。その中で建設業については、昭和四〇年を中心に国道改修工事にともなう臨時的労働者がふくまれている。
 全般的に町内では兼業化、女子労働による副業化が進行している。

産業大分類別就業者人口(国勢調査)

産業大分類別就業者人口(国勢調査)


産業別人口世帯数

産業別人口世帯数