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久万町誌

1 仰西渠(昭和二五年一〇月一〇日 県指定 史跡)

 仰西渠は元禄年間(一六八八~一七〇三)に、山之内彦左衛門(後に仰西と号した)が、個人の財力と力で造った水田に水を引くために作った用水路のことである。(仰西翁については人物編を参照されたい。)
 仰西渠は、安山岩の堅い岩を玄翁と石のみでこつこつと、砕いて造られたものである。もちろん岩の上で火を焚いて水をかけ、砕くというような工法もとったであろう。
 暗渠(水を通す隧道)部分が約一三㍍、明渠(隧道でない水路)部分が約四三㍍、両方で約五六㍍の用水路である。この用水路のおかげで大字入野地域の水田約一四、五㌶と大字久万町の水田約一一、三㌶、合計二五、八㌶の水田に水が注がれ、豊かな稲が稔るようになったのである。今も入野に残る仰西田(仰西の所有していた水田)四六㌃は、いかなる旱天にも、水が不足することはないという。
 久万川の水を引くために用水路を作るにあたり、仰西翁は掘り砕いた石くずと、米一升の量換えであったという。堅い安山岩のことだから、石くず一升(一、八㍑)分を作るのに、半日もかかったという。石くず一升と米一升の量り換えで、三年という歳月を費やして造られたものだという。いかに難工事であったかがしのばれる。