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久万町誌

17 河上神社(葛城神社末社)

 大字二名字上厚
 祭 神 素盞鳴命
 享保八年(一七二三)京都祗園から牛頭天王の分霊を勧請し、牛頭天王と称し悪病除の神として奉祀していたが、嘉永六年(一八五三)八月、水害のため流失した。そこで、元の地より上手の現在地に社殿を造営して祀っている。明治六年四月、社号を河上神社と改称した。本殿・拝殿がある。
 以上のほかに、明治三九年に出された勅令により、四O年代にお宮が整理統合され、その際廃止されたものが各地域にあった。統合されたために、そのご神体はないがお宮の敷地や建物が残り、お堂として今なおその集落に存在しており、人々の心の支えとなって祀られているものがある
 また、俗信的なものや講といった形態をもつものなど、さまざまな風習を交えながら、その大略を記しておきたい。調査不十分な部分もあるかと思うが、ご寛容いただきたい。