データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

6 三島神社

 大字菅生一九〇
 祭 神 大山祇神・雷神・高籠神・大雀命・五男三女神を合祀
 大宝元年(七〇一)、時の文武天皇の勅願によって菅生山大宝寺が建立された。しかし、神社のないことを嘆いて光仁天皇の宝亀四年(七七三)、越智郡大三島より大山祗神社の分霊を勧請し、久万山並びに太田山(小田郷)の総氏神とした。鎌倉時代になり北条時頼回国の際、当社に参拝し、帰国の後も崇仰篤かりしと伝えられる。戦国時代は大除城主・大野直昌がことのほか尊崇し、神輿渡御は自から供奉したと記録されている。更に徳川時代には、松山藩主加藤嘉明の重臣佃十成が極めて崇敬し、社殿の大改修をなした。当社は久万郷の総氏神であるため、明治の初期までは旧暦九月一八日の大祭には二五か村の民家ことごとく幟を立て提灯をともして奉祝したという。現在は、一一月一、二日を大祭とし地方祭が行われる。拝殿(単層入母屋造り、銅板葺き)は安土桃山時代の壮麗雄渾な様式を残すものとして昭和三七年一一月県文化財に指定された。