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久万町誌

1 浄瑠璃

 浄瑠璃は歌舞伎に先だって上浮穴一円に伝わった。上浮穴郡は全体が僻地であるところから、こうしたものは、四国遍路や遊芸人によって伝えられた。特にこの方面では先進地であった徳島の人が巡礼の途中で指導したり、阿波の人形芝居が巡業してきたときに指導したのが、町内に残る浄瑠璃のもとである。
 川瀬地区が特に盛んであった。江戸時代文化年間の初期(文化と改元したのが、一八〇四年である)に伝えられたらしい。娯楽のとぼしい地域のことであるから、夜な夜な一か所に集まって指導を受け、師匠が不在のときは相互で研鑚した。春の四国遍路に学び、農閑期には練習し、村内はもとより組内のよろこびごとのときなどには、会衆はきまって浄瑠璃を口ずさんだ。だから、村内のほとんどの人が聞き語りで語ることができた。これは社交上からも大切なことであった。川瀬地区はこのようにして発展したものであろう。
 父二峰地区あたりでは、ときおり巡業に来る阿波のあやつり人形が、地元で浄瑠璃の語れる人に語らせたりしたのが発展を促すもととなったようである。
 この阿波のあやつり人形は、芝居小屋もない地方のこととて、地方の豪農で興行の好きな人の座敷を借りて花興行でやった。その際、地もとの人に浄瑠璃を語らせると観客の動員をたやすくし、しかも花代も多いところから好んで語らせた。
 このように四国遍路や遊芸人・阿波のあやつり人形芝居の影響を受けて発展したものであるが、更に地区の祝いごとの場において芸を競い合い、これらによって一層の伸展をみた。