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久万町誌

1 満蒙開拓義勇軍

 明治維新から六〇年、大正末期の不況や、思想の問題等もそのまま、昭和にもちこまれたが、そこには既に戦争体制への準備が着々と進められていたのである。
 昭和六年九月満州鉄道爆破をきっかけに、広い満蒙の地は戦場と化し非常事態宣言と共に、八紘一宇の国策遂行の手段としてまず各種の国家統制を施し、思想犯を弾圧し、すべては、忠君愛国・滅私奉公の旗印のもと大東亜共栄圏建設に向かって驀進したのである。
 一方、荒野と化した戦場を沃土とするため、昭和一五年二月一一日愛媛村建設の第一陣として総勢二〇数名の開拓青少年義勇軍が組織され、高等小学校卒業の少年隊は、日本の生命線満蒙を守り抜く使命をおびて、続々と出陣していったのである。久万町内でも、顔をこわばらせながら、歓呼の声と旗の波に送られて雄々しく出陣していった少年隊員もかなりの数にのぼった。
 しかし拡大の一途をたどった戦局は必ずしも好転せず、遠大な理想の拓士たちも次第に現地召集となり多くの戦死者を出すとともに隊員の中にも数名の尊い犠牲者をみたが遂に昭和二〇年八月開拓五年の努力は敗戦と同時にむなしく崩れ去ったのである。