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久万町誌

6 戦争景気と米騒動

 第一次世界大戦は大正三年から七年までつづいた。日本はアメリカとともに主戦場であるヨーロッパから遠くなれているため、ヨーロッパの諸国が戦争に全力をあげている間に、東アジアの市場を独占し、諸国からの注文を受けて綿製品や軍需品などを大量に輸出した。また連合国側か多くの船を失ったために、海運業を世界的に発展させることもできた。
 そのため我が国の経済は世界大戦の間にすばらしい好景気を迎えた。だがこれは大戦中の一時的景気で、利益を得たのは資本家や一部の成金にすぎず、一般の者はかえって物価の値上がりに苦しんだ。ことに米価が大戦前の二倍以上にあがったので米騒動が起こった。
 米騒動は大正七年、富山県下の漁村におこりたちまち全国に広まった。愛媛県でも伊予郡郡中・松山市・宇和町などをはじめ各地に大なり小なり起こり、八月三日から約三週間つづいたのである。この後の対策として恩賜金が下賜され、また民間有志の寄附金による救済資金の配分、県当局による外米の購入等によって落ち着いたのであった。これを契機として小作争議、労働運動も活発となっていった。