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久万町誌

3 明治維新

 明治の維新、これは武家政治六七六年、近くは徳川藩政二六五年封建政治に馴れていた国民にとって一大衝撃であった。廃藩置県・神仏分離・地租課税の布告と多くの新政策は農民に動揺を与えた。これが全国各地に農民一揆が勃発した原因である。我が久万山においても彼の有名な久万山騒動が起こったのも、このころのことである。井部栄範翁の言を借りると「明治維新後幕府諸侯の城郭も桑畑、茶園に変じ寺院の境内にも波及し、一般帰俗するの輩多し。菅生山のごときも今後の維持方法に苦しむ。然処僊秀・実喩・堅州と相継続し、鑞州在生中数千本の植杉ありしを伐採して今廃絶に至らんとの憂を除き得たり……後年の計画はこの際にありと、明治五年に移住し、翌六年より年々植杉す。又そのころの民風を翁は「廃藩置県以来我郷人民は、一時の浮利に迷ひて天然の林材を濫伐し、禿山となるも顧みず漸く深山に斧鉞を入るるに至れば、其産額の減じたる推て知るべきなり。栄範深く之を憂ひ退いて熟考するに、山林繁殖するは目下の急務にして」と退廃的民風をなげいている。