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久万町誌

1 当時の世相

 「明治になってから大変なことになった。何もかも変わってしまう」「神社の取毀は何という乱暴なことだ」「何でも、こっそりと人間調べをしているとのことだ」「あれは女子供を外国に売るのだとよ」「いやあれは生血を採るのだということだ」「血を採るのは牛を殺してだと」「いや牛の血は人間の血がたりないからだとよ」まことしやかに噂は噂を生み、数人集まればこんな話で持ち切りであった。まして女子供にとっては明け暮れの話題であった。
 ことに行商人は、このことについて他地区の話の伝承者であった。
 慶応三年一〇月一四日、徳川一五代将車慶喜の大政奉還となり、そしてその翌一五日聴許され、続いて一〇月二四日将軍職辞退を請い、翌々月一二月九日には王政復古を宣言せられた。それから四年目の久万山地方のありさまである。ちょうどその時「知事の罷免と東京へ引上げ」のことが伝わったのである。
 徳川一五代二六五年の政治になれ、松山藩として久松定行公桑名より転封されて二三三年封建制に馴れさせられていた久万山の人々には、未知の新政よりは、馴れた旧政をなつかしがった。風説のおびえもてつだって、遂に知事の再任引止めの歎願となった訳である。これが世にいう久万山騒動である。
 久万山騒動の概要を以下記す。