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久万町誌

10 大野氏の幕下

 大野氏の勢力範囲はおおむね重信川を境に、久万、小田を中心として喜多に及び、更に宇和の北部にも達していたようであるが、世は戦国のこととて、その威令の及ぶ範囲は絶えず流動していたように思われる。
 前述のこどく、大野氏ははじめ喜多に起こり、長禄、寛正の頃、日野・林・安持・土居のいわゆる小田四家に迎えられて小田郷に入り、さらに土佐勢の進攻に備えて、船草・明神・菅・山之内・政岡・平岡・森・立林・梅木・山下等、久万一八家の懇請を入れて大除に入った。
 大野氏治政の最も安定したのは三代山城守直昌の時代で、伝うるところによると、彼は河野家の執事をつとめ、土佐長曽我部氏に対抗する山の手の旗頭として河野氏の重鎮であった。
 その幕下は四八家四一両城といわれ、いずれも本城の大除城を中心に三重の円陣を描いて、予土国境に向かって展開し、天嶮を利用して、国境警備の山嶽要塞地帯を形成していた。それらの城砦のうち主なものを「大野家四八家之次第」「予陽大野車談」より拾いあげると、およそ次のようなものである。
  菅 生  ◎ 大 除 城  大野山城守直昌
  東明神  1 船 山 城  船草出羽守仲重
  西明神  2 越木甫気城  山内丹波守豊忠
  久 谷  3 葛 掛 城  明神清左衛門里壽
  入 野  4 天神森城   梅木但馬頭爲政
  野 尻  5 池 峠 城  渡辺左馬介一綱
  七 鳥  6 鷹 森 城  越智帯刀通喬
  畑野川  7 高 藪 城  船草五兵衛重紀
  大 川  8 石 本 城  梅木右馬允政倫
  久 主  9 松 岡 城  重頭数馬時保
  昼 野  10 若 山 城  菅内蔵允道氏
  有 枝  11 高 森 城  佐伯重兵衛惟喜
  西 谷  12 城 森 城  中川主膳正直清
  西 谷  13 天神森城   山下金兵衛俊朗
  窪 野  14 真 が 城  森讃岐守義長
  久 谷  15 勝 山 城  立林雅楽頭定男
  直 瀬  16 勝 山 城  鳥越左門豊祗
  畑野川  17(直昌下屋吸)上之段 武市近江守三雄
  野 尻  18 柳 小 路  大家又兵衛礼重
  荏 原  19 西 町 城  平岡左近房衛
  同    20 東 町 城  正岡右京太夫通高
  東明神  21 笠 松 城  鶴原三郎兵衛慶総
  菅 生  22 沖 屋 城  露口清左衛門吉昌
  日野浦  23 銭 尾 城  菅新左衛門道雅
  久 万  24 野 尻 城  山口甫順義煕
  露 峰  25 尾 首 城  尾首掃部頭直福
  土州境  26 轆 轤 城  宮田右京進道後
                小倉丹後守爲秀
  小 屋  27 崎 森 城  林勘解由直任
                林忠左衛門直将
  小 田  28 本 川 城  土居下野守方玄
  日野之川 29 日 野 城  日野孫六郎勝友
  町 村  30 土 居 城  尾崎七郎家親
  寺 村  31 赤 岩 城  東筑前守直勝
                安持備前介頼康
  惣 津  32 立 花 城  立花九郎兵衛直周
 これら番城の城主は、いずれも大野氏の一族か、または在来の豪族で、常に主家を助けて戦国の山野を駈けめぐり、土佐勢の心胆を寒からしめた武将たちである。
 しかしながら、前述のごとく、天正一三年秀吉の四国征伐によって、大除が開城されるや、彼等も主家に殉じて自らの手で城を焼き、下城して、郡内各地に帰農したり、また他家に随身したりして歴史の表面からその姿を消して行った。

大野氏幕下の番城配置図

大野氏幕下の番城配置図