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久万町誌

2 縄文時代の上黒岩の生活

 この遺跡は原始人のかなり長期にわたる生活の根拠地となっていたと考えられる。それは出土品の多様性からも、またその層の厚さからも、更に、石器の大部分が矢じりや石やりであることから狩猟生活が主であったことなど、容易に推察できる。
 この付近では、シカやイノシシを主として、共同で狩りながらも、家犬でそれを追い立てた時、偶然にとび出したサル、アナグマ、タヌキ、ムササビなどの小動物を食べないまでも手当たり次第に捕え、その皮を石器を用いてはぎ取り、敷物や衣類として用いたようである。食事は生食だけとは限られていない。焼けた骨もあるし発火器として使用されたであろう石も残っている。この他にもっと捕りやすいものとして、現在でも生息しているコイをはじめとする川ざかなやカニなどもあったろうが、最も得やすいものは川ニナであったようである。これらの殻は厚い層の中から、かなり多く見つけることができる。シジミなどとともに食べ、他の獲物の少ない時であっても、この久万川の清流のほとりで、案外、豊かな暮らしを送っていたのではなかろうかと推察できる。
 更に埋葬人骨がつけていたと思われる貝製装身具の貝殻はすべて海産のものであり、貝殻にもハイガイをはじめ、海産の貝類が多く見られる。したがって、土佐湾方面、あるいは豊後水道方面などと、つねに交渉があったと考えられる。
 しかし当時でも、現在の米に相当する植物性の食品が必要で、木の実、草の根、例えば、クリ、トチ、クルミ、アケビ、ムクなどが、クズの根や山芋などとともに、常食となっていたらしい。それはヒメクルミの堅い実の炭水化物が一〇数個も灰の中から出ている点からも容易に窺える。当地方の久主下(クズノサガリ)という地名はクズの根を産したことと関係はないものだろうか。