データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

3 久万町の地質の要約

 今から六〇〇〇万年から五〇〇〇万年くらい前に地殻の大変動が起こり、白堊紀の海に堆積していた地層は強い力を受けてしわがより、四国に高い山脈ができた。しかし、隆起した山脈は、約一〇〇〇万年の間に雨風や川の水のためどんどん削られ、地下の深いところにあった結晶片岩が地表に現れてきた。約四五○○万年ぐらい前は、久万町から松山にかけては海であった。これは、古石鎚海である。この海に生きていた有孔虫やサンゴ、石灰藻の化石が二名から出ている。(図)この海の底は結晶片岩のかけらからできている地層であった。
 始新世の終わりごろになると地形ががらりと変わり、古石鎚海は干上がってしまって広い河原や沼地ができていた。ここには暖地性の植物、ビロウやフウが茂っていた。この植物の化石が明神層から出ている。その後、約一〇〇〇万年の間はわりあいに地盤が安定していたが、浸食作用は休むことなく行われ、山は次第に低くなり、平野は広くなって準平原ができた。
 約一五○○万年ぐらい前、石鎚山系に火山の大噴火が起こり、それが何百万年も続いた。しかし、その間に火山は中休みをしていたので、焼野が原になった山野も青々と草木が茂ったときもあった。
 噴火がおさまり浸食作用だけが働く時代になると、低い山と広い野原の準平原ができた。その後、地盤が一〇〇万年以上も引き続いて変動し、断層ができた。これが現在の地形の原型である。その後も浸食作用等により原型は幾分か変形し、現在に至っている。