データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

追刊 中山町誌

第三節 その他

一から五まで中山町誌参照


六、脇本陣
 本町脇本陣ならびに玉井家に残る文書について、調査研究を委嘱の松山東雲短期大学地域文化研究室犬伏武彦よりの調査報告(平成一五年三月二八日)によると、次のとおりである。

 脇本陣について

 旧中山町(藩政時代、郷町)は大洲藩の五本陣(大洲、長浜、上灘、郡中灘町、中山)の一つであり、重要な位置を占めていた。本陣とは藩主の巡領や幕府・巡見使の宿をいい、庄屋や町老など地域の有力な家が勤めた。中山においては、本陣を庄屋・長岡氏、脇本陣を出淵村庄屋と泉町・玉井家が勤めた。幕府巡見使の一行は総勢一五〇人にも及び、本陣ばかりでなく町あげての歓迎・接待であった。
 脇本陣の名が今にまで伝えられてきたことは中山町の歴史への誇りであり、玉井家には巡見使宿泊の記録があった。

 脇本陣・玉井家の建築について

 南にある住居部(今回調査)の建築は、玉井家に残されている「普請次第控」に「宝暦一〇年(一七六〇)年一〇月一二日着工、宝暦一一年二月三日棟上、大工は中山町・多七」と書かれている。この年巡見使が伊予を巡見しているので、その宿泊に合わせて建築したとも考えられる。
 次に明らかなことは、天保六(一八三五)年の家相図である。内部や細部は改変されているが現在の外観は天保六年以前の状態を保っている。間取りについては、脇本陣としての座敷部、町老としての部屋、そして酒造蔵から連続する店舗の三つの部分から構成されている。
 御成門・庭園・座敷は建築当時(宝暦年間)の形態を残し、町中にそのような門や庭・座敷が江戸時代のままにあるのは貴重なことである。庭には大きな石が二つあり「お姫様の駕寵を付けた」という伝承も事実と考える。
 前回調査からも店舗部の建築が居住部より後であることが判明していたが、居住部に店舗部を付けたような平面・・・立面となっている。
 その経緯については次のように考える。
 宝暦一〇年の普請は通りに面して一つの建物が建築された。すなわち、座敷部、玄関部、そして店の部屋と土間があった。しかし、脇本陣の独立性を保ち、町老など町の仕事をおこない、酒造に関する店舗営業のそれぞれが独立した空間となるように店・土間部分を除去し、現在の二階建ての店舗を建築し、一つにつなげたと推定する。
 以後、江戸から明治とかわり脇本陣の役割はなくなり、玉井家においても酒造家から郵便局長、金融業、医院と変遷し、酒販売・自転車屋・パン屋と家が使われてきた。
 それに伴う内外部の改変、部屋の模様替えが行われ現在に至った。
 しかし、間取りの基本や外観は天保六年の状態を保っていることは稀であり、貴重である。

 建築面積など
建築面積 四〇〇・〇九平方メートル(一二一・二三坪)
 住居部一八六・二四平方メートル
 店舗部二一三・八五平方メートル
延べ面積 五一四・七〇平方メートル(一五五・九六坪)
 住居部二三二・五三平方メートル(一階一六五・八九平方
 メートル、二階六六・六四平方メートル)
 店舗部二八二・一七平方封(一階二〇二・五〇平方
 メートル、二階七九・六七平方メートル)
 玉井家文書より
① 大洲藩中山町における役職に関する文書
 享保一九年喜多郡中山村 畑方検地帳………中山全体の土地や歴史
 銀札引き換えに関する覚え………「御用銀指上控」
  「銀札御引替願」町老としての役割
 年貢に関する文書………村の組織…組の名前が分かる
 御用銀などに関する文書………町の人々、商人のこと
 玉井家家譜………家名御免、扶持、「御城下出勤諸事控」天保八年相続の時
 大洲への出府の文書………家名御免や扶持を与えられたときのこと「御家老・御中老・御郡代・御取次等の名前」
 巡見使の記録………巡見使・細井隼人弊八の名
 献立………有力な人を迎えた日の献立
② 明治期の文書
 郵便局に関する文書………中山郵便局長、その他
 学務委員………「生徒臨時休業の伺」明治一八年学務
  委員玉井磨一郎
 栗田鉱山に関する文書………「栗田山需要品仕送帳」
  「栗田鑛山諸事日記」「栗田鑛山物品支拂簿」「栗田鑛山地図」「試掘豫算并規則」「火薬請拂簿」(明治二三年から明治二九年の記録)
 その他………玉井家がかかわった社会的な記録
③ 典籍その他
 「仮名手本忠臣蔵双六」江戸末期・「義士墓画」天保再刻・「正誤仮名遺」天明八年・「敵討飾磨椙布染」天保六年・「大日本新丸持長者鑑」明治一一年・「芝居役者一覧」明治一一年・「文明滑稽すごろく」明治期・「団団珍聞第八百七〇号」明治二五年・「団団珍聞第八百六九号」明治二五年・和歌控え「和歌控」年代不明・宗根の名あり「和歌会控」「歌仙行」安政六年


七、文化財の書籍
 「中山町の石造文化財」(一九九八)平成一〇年一月刊行本町教育委員会が文化財専門員に調査研究を委嘱し、町内石造物で文化的に価値があると認められたものを精選し一二二基を収録した。
A四判
オールカラー
一三八頁 五〇〇部
文化財専門員
 山中 善男
 藤岡 輝雄
 城戸庄五郎
 窪中 一郎
 下岡 和夫
監 修
 福井 眞男
(県立歴史民俗資料館嘱託)

二 「往還道を辿って」(二〇〇三)平成一五年三月刊行
 平成一二年度から一四年度にかけ、中山町の佐礼谷地区の旧道と文化遺産を、佐礼谷公民館が主体となって調査編集した。セイコー社の住宅地図に所在を示し刊行した。
 A四判 一六三頁 五〇〇部
 印刷費     一、七五三、五〇〇円
              (町より八五〇千円補助)
 編集委員長   久保田 宏
 調査委員長   山中 善男
 調査委員    渡井 肇 沖野 新一

三 「巨木と語る~なかやまの巨木・銘木~」(二〇〇四)
 平成一六年三月刊行
 本町教育委員会が文化財専門員に調査を委嘱し、町内の巨木・銘木三八本を収録した。
A四判 オールカラー 四八頁 五〇〇部
印刷費     八一九、〇〇〇円
文化財専門員  山中 善男  下岡 和夫
        山田 武志  河田 保幸
        上岡 貞義
監 修     松井 宏光(松山東雲短期大学)


脇本陣復元に関する経緯

脇本陣復元に関する経緯