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双海町誌

第六節 PTA

 本来PTAは社会教育団体に位置づけされているが、学校教育との関連が多いために、小・中学校教育のあとに記述することとした。


一 PTAの前身
 一九〇五(明治三十八)年ごろから、父兄母姉懇談会が翠小学校・由並小学校・下灘小学校・富貴小学校の各学校において盛んに開催された。現在の学校参観であり、子どもの教育を話し合ったり、作品の鑑賞や幻灯(スライド)による教育内容の向上が図られた。


二 PTAの設立
 一九四七(昭和二十二)年四月の六・三・三・四制の学制改革に伴い、同年三月、文部省は新教育を全面的に推進するため、而親と先生の会(PTA)資料を発表して、その結果を奨励した。本町においては、昭和二十二年、四つの小学校と二つの中学校にそれぞれPTAが設立された。


三 PTAの活動
 PTAは全国的に大きな結びつきが必要であったため、一九四八(昭和二十三)年に全国PTA協議会が結成された。PTAは独自の予算を持ち、教育効果の向上・子どもの幸福の実現に尽くしてきた。年度初めには総会を開催して役員を選任したり、委員会・役員会を随時開催し事業を推進したりしている。児童・生徒の個々の教育についても、保護者の学校参観日を設け、教師との相談がなされている。とりわけ、人権教育においては、特に保護者の支援と協力を得て、いじめ・校内暴力・不登校等の対策に貢献している。


四 双海町PTA連合会
 町内小・中学校五校のPTAの情報の交換を図るとともに、会員同士の連携を深めながら、児童・生徒の教育環境の整備に努めることを目的として、一九八四(昭和五十九年)に発足した。主な活動は、研修会やレクリエーションバレーボール大会などである。


五 小学校PTA

富貴小学校PTA

下灘小学校PTA
 同じ通学区の下灘中学校PTAと協力しあって、研修旅行やバレーボールの練習などを、合同で行っている。当初は合同で行うのは難しいのではないかと不安もあったが、それは危惧にすぎず、現在はかなり盛り上がっている。PTA活動に意欲的で、協力性・機動性・独自性に富んでいる。

由並小学校PTA
 学校並びに地域社会との連携を密にし、小学校の教育活動を積極的に援助して、学校と児童たちによりよい環境づくりを目指して一九四七(昭和二十二)年に発足した。現在は、約四〇人の役員を中心に活動を展開している。近年は過疎化の影響を受けて年々家庭数が減少しているのに加え、少子化現象で子どもの数もかなり激減しているが、「子どもたちに生きる力を培うPTA活動」を目指して日々努力している。

翠小学校PTA
三方を翠の山々に囲まれ、上灘川の清流に映る山々のみどり。それは単なる緑ではなく、あやしいまでにみどりの美しさを湛えた翡翠の翠である。本校区内に住む人々もまた、翡翠のような美しい心、純朴で、人情厚く、誠実で勤勉・協力的で奉仕的精神に富んでいた(「翠小学校百年の歩み」より)こうした心情は、〝自らすすんで奉仕する。人のために汗を流す〟というPTAを支える基本的精神に受け継がれ、小規模校のよさを生かした様々な活動に取り組んでいる。


六 中学校PTA
上灘中学校PTA
 一九四七(昭和二十二)年七月十九日に父兄として創設、同年二月二十一日に後援会をPTAと改編して第一回PTA会を開催した。一九六二(昭和三十七)年度の五六一人をピークに生徒数が減少し、二〇〇一(平成十三)年度には、一二九人となった。これに伴って会員数も減少している。しかし、保護者と教職員が協力して青少年の幸福な成長を図り、教育環境を整備し、会員相互の学習活動を行うことを目的として、現在は、六つの専門部会に分かれてそれぞれが工夫を凝らした活動を活発に展開している。

下灘中学校PTA
 新制中学校の創立に伴って一九五三(昭和二十八)年に下灘中学校PTAとして発足以来、今日まで様々な活動を続けてきた。時代の流れとともに、過疎化・価値観の多様化等、社会は変化してきたが、「学校は地域のよりどころ」であり、子どもが日々学ぶ学校を側面から支えていくのが、PTAの本来あるべき姿であるとの一貫した認識が代々受け継がれている。

富貴小学校 歴代PTA会長

富貴小学校 歴代PTA会長


下灘小学校 歴代PTA会長

下灘小学校 歴代PTA会長


由並小学校 歴代PTA会長

由並小学校 歴代PTA会長


翠小学校 歴代PTA会長

翠小学校 歴代PTA会長


上灘中学校 歴代PTA会長

上灘中学校 歴代PTA会長


下灘中学校 歴代PTA会長

下灘中学校 歴代PTA会長