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双海町誌

第六節 大字と集落

一 概   要
 一八七〇年代から数年にわたって、全国で土地調査が実施された。このとき、村ごとに地目・地番が設定され、面積も表示された。双海地域では一八九〇(明治二十三)年に、それぞれ三つの村が合併して上灘村(高野川村・上灘村・高岸村)・下灘村(大久保村・串村・石畳村)が発足した。
 合併前の村は大字となり、一九七五(昭和五十)年に開始した昭和の地籍調査でも変わることなく、現在も地名として残っている。大字の境界線をたどると、明治初期の村の地形が分かる。
 集落を「字」といって、「大字○○字○○」と称していたが、この「字」は最近使用されなくなった。集落費のことを「字費」というのはこの名残りである。現在の地籍の表示は、「大字○○」の次に小字名「○○」と表示され、次に分類記号(甲、乙など)を冠して「甲○○○番地」となっている。
 大字は地籍上と、地域の名称として存在する程度で、これに基づく独自の組織や各集落の統括権などはない。
 集落は、明治以来「○○部落」という呼び方をしていたが、最近は「○○集落」となりつつある。しかし、その代表者の呼び方は、「部落長」でも「集落長」でもなく、明治期以来「区長」である。その名称は町役場でも使われていて、集落の代表者が集合する組織を「区長会」と称している。灘町や本郷には、独自の規約があり、その名称は「灘町区規約」「本郷区規約」と、やはり「区」と称している。条文の中でも「区長」となっている。集落は複数の「組」で構成され、組は複数の「小組」で構成されている場合が多い。とはいえ、集落により、世帯数は壺神の三世帯から灘町の約三〇〇世帯まで大差があるので、すべての集落が細分化された「組」で構成されるとは限らない。大字ごとの集落は次のとおりである。
 ○大字高野川 (一集落のみ)
 ○大字上灘 (一四集落)
  小網・城之下・灘町・両谷・久保・三島・岡・日尾野・柆野・犬寄・東峰・高見・奥大栄・大栄
 ○大字高岸 (三集落)
  本郷・塩屋・唐崎
 ○大字大久保 (五集落)
  本谷・石ノ久保・閏住・富岡・日喰
 ○大字串 (一一集落)
  上浜・下浜・奥東・奥西・池之窪・本村・富貴・松尾・壺神・満野空・満野浜

二 集落の業務
(1) 固有のもの
 奥地部では、中世・近世のころからあったと思われる神社・仏閣関係の行事などが、集落の業務として実施されている。また、集落内の生活道の草刈り、側溝の土砂除けなどは、「道つくり」として舗装される前から形を変えて続けられている。
 主に海岸部では、近世に小集落が存在していたが、近代から現代にかけて人口が急増して大集落となっている。宗教関係の行事も業務として行われているが、近年、独自に企画した運動兼レクリエーション行事などが定着している。
 各集落には、独立した有線放送施設があり、各家庭で利用されている。その他の通信手段の発達により、集落内の集会は、その開催日数も出席者数も減少している。
(2) 町(中央)関係
 町の行政関係業務は、多種多様である。住民税・固定資産税・国民健康保険税・軽自動車税等の集金・納入は、その代表的なものである。毎月発行の町報や関連広報、年四回発行の議会報、選挙広報・農業委員選挙人名簿・漁業海区調整委員選挙人名簿の登録補助等多様である。
 行政業務とはいえないが、緑の募金・日赤社資募金・共同募金・歳末助け合い募金・双海町夏祭りのイベント「花火」の寄付集金などもある。昭和四十年代ごろまでは、衛生問題に関する業務が多かったが、住環境が改善されたので現在は激減した。
 全集落は、中央公民館の下部組織的役割も果たしている自治公民館を設置している。その館長は、区長が兼務している集落もある。
 集落と自治公民館組織は同じ構成者からなる。住民が少ない集落の自治組織は弱体化する傾向にある。深刻な少子・高齢社会では、組織が合併し、適正規模に広域化することで、集落機能を維持することが必要である。

三 集落の変遷
 最初の集落の形成は、海から離れた山間の、川や泉など水場の近くで始まった。海辺では、海賊に襲われることがあったり、暴風にさらされたりするからである。近代になって、水道が整備されて、山間部の水資源から離れても生活ができるようになったこと、また家屋構造が強化されたこと、治安がよくなったことなどから、海岸部には人家が増加した。
 海岸沿いに建設された車道は、平地(灘町・豊田)から分岐して、南へ延びた。交通が便利になった三叉路周辺に公共施設が順次整備されたことで、更に人家が激増した。この、人家の移動に伴い、奥地部の集落は衰退しつつある。
 中世に城や砦があり、直接、統治範囲にあった集落(由並本尊城=灘町。海辺城=本郷。烏帽子岳城=三島・岡・日尾野。黒山城=大久保・豊田地区)は、城と運命共同体的関係にあった。周辺には武士団が居住していたと思われ、当時は治安は良好であったようである。灘町区などは、城下町風なたたずまいである。このように、集落の成り立ちや変遷は、その場所により様々である。大正末期以降の変遷概要は次のとおりである。


歴代区長会長

歴代区長会長


生まれた集落

生まれた集落


消えた集落(小組)

消えた集落(小組)