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双海町誌

第一節 概要


一 明治時代
 明治維新の後、日本は近代資本主義国家を目指して急速に進展し始める。
 なかでも、版籍奉還によって人民が領地・領民制度から解放され、士・農・工・商という身分差が無くなった意義は極めて大きいといえるだろう。代わりに、華族・士族・平民といった呼称がつくられたが、戸籍の上のみのことで格別身分上の特権を持つものではなかった。しかし、華族を中心とした貴族議員制度や選挙権、法律で擁護された地主制度など、実質的な差別的制度は依然として残っており、また、貧富の差も激しかった。
 こうした背景のもとに、藩閥政府に対して人民の平等と権利、立憲政治の確立を求めた自由民権運動が展開されることとなる。
そして、一八八九(明治二十二)年に明治憲法が公布され、やがて薩長が中心であった藩閥政治・官僚政治から、人民代表による政党政治へと移り変わっていった。
 一方、地方の行政組織も、藩から県となり、更に合併分離を繰り返していく。現在の愛媛県が確立したのは一八八八(明治二十一)年十二月である。近世初頭ごろから引き継がれてきた郷村制度は、幾つかを合併した大区制から郡制となり、一八九七(明治三十)年四月に新たな伊予郡が成立した。村に関しては、江戸時代の庄屋制から里正制、戸長制、小区制によって二、三村が合併した新たな戸長制などを経て、一八九〇(明治二十三)年四月に上灘村と下灘村が発足した。
 明治政府は地方の行政制度を改正するとともに、中央集権を図った。また、地租改正の施行によって国家の財政を確立、紡績などの軽工業を興して、国力の増強に尽力した。更に、学制を公布し、国民皆学という理念の基に、義務教育を徹底した。この政策があったからこそ以後の日本の繁栄があったといえるだろう。
 その一方で徴兵制も断行され、西南の役では、一般人が銃をとり近代戦を展開、士族たちを敗走させた。それ以後、富国強兵が明治時期の国の一番の方針となり、やがて日清・日露の両戦役に勝利して「軍国日本」として世界の注視を受けることとなった。
 このように、明治時代はそれまでの鎖国による後進性を一気に挽回しようと、国をあげて「追いつけ追い越せ」に明け暮れていた時代といえる。双海地域においては、そういった近代化の速度はやや緩慢ではあったが、学校の設置や、農漁業、軽工業が順次進展していった。
 ともすると、華々しい明治維新や、中央で活躍した政治家や将軍の名声に隠れてしまうが、この時期に国家と共に数々の試練を乗り越え、郷土を支えた名もない先輩たちの努力は賞賛に値する。「一将功成りて万骨枯る」とは、戦争のみではなく、飛躍発展した明治の歴史の裏側を表している言葉だろう。

二 大正時代
 一九一四(大正三)年、帝国主義列強の対立により起こった最初の世界戦争である、第一次世界大戦が勃発した。この戦争に連合国側として参戦した日本は、ドイツ領であった中国山東省や、南洋諸島などの利権を手に入れた。これ以後、急速に海軍力が増強され、日本は世界各国から軍事強国として恐れられるようになる。
 大戦後には戦争に関連した特定産業が異常に発達し、金時計に銀鎖、葉巻に山高帽でステッキ姿の戦争成金が出現した。一方、物価の高騰によって農漁村は疲弊、人身売買といった深刻な世相を生んだ。また、悲惨な紡績・織布女工の労働状態をなまなましく伝えた『女工哀史』が記録されたのもこのころのことである。
 このような状況下で、無産階級層には社会主義が浸透していき、各地で激しい労働争議が起こり始めていた。そしてここに大正デモクラシーの時代を迎え、一九二五(大正十四)年には普通選挙法が制定された。しかし、同時に治安維持法が制定されたことによって、国家権力による思想弾圧が始まり、こうした運動は終息した。

三 昭和前期
 大正からの政党の堕落、農村の疲弊、思想の混迷は、やがて軍部の台頭を許すこととなる。国内の閉塞感からの脱却策を国外に求め、昭和維新を唱えた将校たちの独走によって満州事変、五・一五事件、二・二六事件が引き起こされ、日本は悲しむべき軍国政治への道をたどった。やがて大陸に対する本格的な武力侵略が始まり、郷土にも大動員令が下り幾百名が大陸に転戦した。大陸での硬直打開策としての仏印(現在のベトナム)進駐は、米英仏蘭その他世界の列強に対する太平洋戦争に進展する。
 四年間に渡る戦争において政府は大政翼賛会のもとに国民生活を統制し、戦争体制に全面協力させたが、生産の破壊・労働力の極度の不足に、国民ははなはだしく疲弊した。また、日本全土は激しい空襲に見舞われ、国内の都市はほとんど焼失した。こうしておびただしい犠牲者を出し、天文学的物量を失って、一九四五(昭和二十)年八月、日本は連合国のポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。
 以上が明治維新以降、明治・大正・昭和前期までの約八〇年に及ぶ近代日本の変遷概要であるが、これは当然その時代に活躍した郷土民たちの集約された姿でもある。