データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

森平 茂左衛 (もりひら もざえ)

 明治二六年(一八九三)一月一一日、伊予郡中山町大字中山酉一五四番地で父萬治郎母エイの長男として生まれ、大正二年三月愛媛県立松山農業学校を卒業、同年一二月から翌年三月まで中山尋常高等小学校で代用教員を勤める。同三年四月喜多郡三善村農会技手に就職、以来産業調査会書記、産業主事補、愛媛県農林主事等を勤め、食糧生産の増強と林業の生産性向上の指導に当たる。昭和一六年八月から一九年まで、その識見により産業組合長に就任、戦時下の農村経営を指導。同二〇年から二三年まで中山町農業会長、同二三年から二五年六月まで中山町農業協同組合長を歴任したほか、愛媛県農業会理事、愛媛県信用農業協同組合連合会理事として、戦後の難しい農政指導者として卓越した識見と手腕で、組合育成と農民の社会経済的地位向上に努めた。
 なお、同二二年四月から二六年四月まで中山町長として活躍、戦後民主主義の定着、道路網整備、教育施設整備に努め、同二六年四月には県議会議員に当選、三〇年四月まで在職、期間中農林副委員長等に就任し地方自治伸展のため活躍した。
 また、地方教育文化の振興に意を用い、昭和二三年九月県立中山高等学校(定時制)誘致に成功、三一年四月全日制として新発足することに尽力し、今日の中山高校の基礎を築いた功績は大きい。
 さらに、昭和二二年五月中山町森林組合長に就任、組織強化を図るため同三九年二月、旧中山町森林組合と旧佐礼谷村森林組合の合併を為し遂げた。組合事務所の改築、出資金の計画的増大等、組織と経営基盤強化に努める一方、しいたけ栽培技術の導入普及に努め、県内有数の生産町に育成した。同二七年一月から三三年一二月まで愛媛県森林組合連合会理事、同三三年二月から愛媛県木炭生産組合連合会理事などを歴任し、近代林業確立に努め、同四一年には全国森林組合連合会長から感謝状を受けた。
 昭和四五年には勲五等瑞宝章を授与された。昭和五〇年八月二九日没、享年八二歳。