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中山町誌

古川 トキコ (ふるかわ ときこ)

 明治三三年(一九〇〇)一二月一日温泉郡川上村(現川内町)古川家長女として生まれた。生来明眸聡明で家庭的にも恵まれ、大正一〇年東京女子師範学校を卒業した。直ちに熊本県の高等女学校教諭として勤務した。続いて大正一五年より一五年間、県立松山城北高等女学校教諭として女子教育に精進した。
 大正一二年、医師牛田利三郎を婿養子に迎え、大正一四年頃より中山町で開業されたが、勤めを続けながら家庭を守り、二男三女の子宝に恵まれた。夫利三郎の後を長男の滋が継ぎ中山町で開業医師として町民の生命健康を守っている。
 二〇年間にわたる教職を退いたが、昭和二二年新制中山中学校が新設されると同時に教諭として求められ、さらに二三年県立中山高等学校が新設されるとまた高校教諭として懇望され、昭和二九年まで勤務した。以後一二年間中山町教育委員として、八年間は町婦人会長また郡連婦人会長として活躍し、おおよそ人生の大半を公職教育関係に費やし、信望の篤さは誠に比をみない有様だった。趣味も広く、華道、手芸、園芸等素人ばなれの才知のすぐれた婦人であったが平成五年一月三一日永眠、享年九三才であった。食生活改善運動、地方教育等の功績により県知事表彰、全国市町村教育委員会連合会長表彰等を受けている。叙従六位。