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中山町誌

重兵衛の妻

 徳川時代の末中山村に塗師重兵衛という者がいた。親が中風で四年も病んでいるので婚を求めても応じる女がなかった。
 しかし、彼女は進んで重兵衛の妻となって姑に孝養を尽くした。
 爾来、年と共に姑の病勢は次第に加わって身体も日々に衰弱し、遂に四肢の自由を失った。妻は姑によく尽くし、病気の介抱その上食物の調理、衣類の洗濯から、家計一切の事を弁じ、夫に家庭の心配なく塗師に専心させた。嫁の孝養のかいもなく姑は六年後死亡した。妻の悲哀は一通りではなかった。周忌になった時、料理人を雇って前宵素饌を調理させて仏前に供えた。その日は甚だしい暑気で腐敗の恐れがあった。妻は安心出来ないで夜も寝ず、自分で調理して霊前に供えた。その祖先を祭る心の篤さが大洲公に聞こえ、褒賞された。