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中山町誌

久保田 一雄 (くぼた かずお)

 明治三六年(一九〇三)二月二〇日に、大字佐礼谷犬寄に住む旧佐礼谷村収入役久保田寅吉の長男として生まれ、大正一一年三月愛媛師範学校を卒業。同年三月伊予郡灘尋常高等小学校教員を振り出しに郡内各小中学校に奉職、昭和二九年伊予郡上灘中学校長を最後に定年退職した。その間、情熱をもって子弟の教育に専念、その高潔な人柄と卓越した学校経営・指導力は多くの子弟や後輩に感化を与えた。退職後は公民館長、PTA会長等を歴任、地域の社会教育充実発展にも努力した。
 昭和三七年一月、中山町教育委員会委員に任命され、教育長に就任、豊かな学職経験をもって町教育推進に努めた。当時、教育長と交際のあった人が次のように懐古している。
 「私が久保田教育長さんにお目にかかったのは昭和三九年四月であった。いかにも古武士然として勤厳実直そのままのお人柄と感じさせられた。第一印象は終生変わることはなかった。ある時の雑談が今なお耳朶に新たである。
 『私は教育界から退いて一〇年もたって、教育長を拝命した。これから接する先生方は、地域社会の指導者の集まりである。この指導者集団と接するためには、それに相応の勉強をせねば自分の職責は到底勤まらない。その一つとして毎朝ラジオ基礎英語を聞いて昔習った英語の復習を始め、今もやっています』私はこの話を聴いてこの謙虚さこそ教育者の模範であると思った。この年齢で再び英語に挑戦しようとする真摯さと向上心に深い感銘を覚え、自らの反省としたのであった」
 この話から教育長の教育観、人生観を窺い知ることができる。
 昭和四九年教育長(三期一二年間)を辞任、昭和五二年四月二九日、勲五等雙光旭日章を受章。平成三年八月七日、逝去、享年八九歳。