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中山町誌

城村 スギ

 城村スギが明治三年(一八七〇)八月中山町塔の元に生まれた時は、三人の兄があって日傭稼ぎの家であったので仲々家計が苦しかった。その上幼少の時に母親を失って家計は益々困難となった。三人の兄は性行不良で一家の頼りとはならず、数年の後父親も病床に臥す様になった。彼女の悲しみはいかばかりであったろう。毎日介抱したが仲々全快の見込みがなく、その上、家計はいよいよ苦しくなって米代にもさしつかえるようになってきた。そこで彼女はうら若い身で「カマボコ」製造を思いつき、家財を売って少しの金を得、これを資金として病父を介抱しながら家業に励んだ。田舎の事として販売に困難し、時には数里の遠方まで行商した。その奮闘は真に並々ではなかったであろう。
 父の長い病も、彼女の孝養によりやっと回復した。そこで里人は彼女に結婚を勧めたがこれを受けないで、まだ余病を持つ父親の孝養と家業に励んだ。
 明治三二年、彼女は急な病気で死亡した。年三〇才その生涯は全く一身を病父と一家の為に捧げたものであった。葬列には近隣のみでなく惜しむ人夥しかったそうである。大興寺に墓碑「孝女スギの墓」と残っている。