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中山町誌

五、 佐礼谷地区

 ⑩ 五輪塔 二基
 所在地 日浦 峰成
 管理者
 塔高  一八〇cm 一○五cm
   由来等
 火輪のそりが大きく江戸期に造られたものと思われるが、均整のとれた立派な五輪塔である。
 住民はこの五輪塔を、松森城主・松森喜三右衛門尉・奥方の墓として、毎年八月一四日に供養を続けているという。当五輪塔は、いつの頃か不明だが、かつて竹藪の処に在ったものを当地に移転したという。
 又、誓明寺本堂に時代等は不明だが、墨書きで、
 「松森院殿緑岩永大居士」
と記したのがあるのも何か史跡として価値大であると思われる。

 ⑪ 五輪塔
 所在地 日浦地区山吹
 管理者 堂本梅男
 塔高  七九cm
   由来等
 山吹御前の墓と伝えられており、金比羅街道の途中に祀られている。鎌倉時代のものではないかといわれていて、本町最古の五輪塔と思える。山吹御前の悲話は沢山あるが、ここでは省く。(伝説の項参照)

 ⑫ 階上城主の五輪
 所在地 中替地 西岡義隆家前
 管理者 中替地々区
 塔高  七七cm
   由来等
 階上城主・佐川喜三兵衛が病に伏していたところ、長宗我部軍の忍び人が連子窓より射ろうとした。その時、奥方は喜三兵衛を守ろうとして火鉢の灰を投げつけた。佐川喜三兵衛は長刀をもって応戦したが、遂に力つき死亡した。その墓の目印に杉の大木があり、昭和初期頃までは根株も残っていたと住民は話している。
 階上城主の墓とされる不揃の五輪二基あり、時代を推理するに鎌倉・室町まで遡るもののようである。旧記に出る大木の根も不明瞭ながら存するので、『大洲旧記』と一致する。史跡として価値があろう。
 以上主なものを列記したが、中山町各地には仏像をはじめとして、五輪塔・宝篋印塔・層塔等、数百にものぼる文化遺産が存在する。