データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

二、 短歌

 佐礼谷「せせらぎ」短歌会
 佐礼谷地区における短歌会の歴史については、ほかに記録がないので、「せせらぎ」誌発刊業務に携わった日浦の飛田吉一による当時の話をもとに記述する。
 まず、会の発起人は竹之内に住んでいた藤本常松である。同氏は、戦時中華北交通に勤務していたが、終戦と同時に郷里に帰った。若い頃より短歌に長じており、進んで愛媛新聞の短歌欄にも投稿していた。当時この短歌欄の指導(選者)は、のち同社重役まで出世した弘田義定(愛媛アララギ短歌会の初代会長)であった。
 藤本常松は、この弘田義定と知り合ったことがきっかけとなり、仲間を誘って「せせらぎ」短歌会を発足させたのである。選者弘田義定を指導者として迎え入れ、毎月例会を開いた。発足当初会員は一〇名余りであったが、回を重ねるたびに新会員が入会し、盛況であったという。
 また、藤本常松が主宰して短歌誌「せせらぎ」の第一号、第二号を刊行して後、当時犬寄に住んでいた同級生の飛田吉一に入会を勧め、以後同氏が「せせらぎ」の編集業務を担当した。手初めになった第三号の発刊は昭和二〇年一一月一三日で、会員は次のとおり一三名であった。
 会長 藤本常松(竹之内)・編集担当 飛田吉一(犬寄)・会員 亀岡嘉雄(中山)・角倉久男(高岡)・松本江美子(山口)・藤田秋雄(教員)・岡崎悦子(村中)・谷本淑美(門前)・小倉庸宣(松前)・阿部希子(不明)・森岡あきゑ(平岡)・重川スミコ(岡田)・山岡町子(泉町)
 第四号は同年一二月七日で、このとき新たに入岡猛の名前がある。以後、回を重ねるたびに、多くの入会者が相次ぎ、「せせらぎ」は盛況を極めた。しかし、指導者弘田義定が松山で主宰する「東雲短歌会」の幹部等による同会への吸収合併の勧誘があり、昭和二一年三月一六日発刊の第一〇号を最後に、佐礼谷「せせらぎ」短歌会は、「東雲短歌会」に併合されたのである。
 当時の「せせらぎ」誌には、会員の名作、力作が五首から六首載っており、会員の心意気を感じとることができる。活動した約一年余りの期間に、新たに入会した人々の名前をここに列挙する。
 重松俊雄(教員)・武田鈴江(東峰)・小野一枝(東峰)・古川八千代(中山)・古川裕子(中山)・亀元マサコ(坪井)・泉 カメヨ(中山)・中井 徳(犬寄)・重川幸江(中山)・泉 ミヨノ(中山)・山岡文子(門前)・重岡忠昭(犬寄)・篠崎英文(日浦)・中井加津美(柆野)・越智 公(中山)・入岡 進(月ノ海)・高橋すみ恵(南伊豫)・野口延子(犬寄)・森岡正雄(教員)
 このように、会員の中には他町村の人も多かったので、ある時期は、中山町の会員だけのために東町の古川医院宅で歌会を開いたこともあったという。
 また、県内で活躍していた次のような短歌会とも会誌を交換して研鑽に励んでいた。

  (住所)      (会誌名)   (主宰者)
大洲高等女学校    ながれ    桜井久治郎
城辺町         海風     二神節蔵
宇摩郡川滝村    須美礼    毛利富恵
久万町        やまびこ    (不明)
東宇和郡俵津村  やまなみ    西田亀八
大洲市三之丸    ひぢ川     河田
周桑郡石根村    石槌      伊藤隆志
菊間町         一路      森田清美
宇和島市横新町  阿由比     内山直
             のち「嚴橿」となる
今治市外日高村   茜       廣瀬芳夫
今治市鳥生土手   水樹     味岡光之助

 当時は、県内には多くの短歌会があったが、今では大部分が「愛媛アララギ」に併合されている。多くの会員が活躍している中に、佐礼谷では飛田茂美(日浦)の名前がみられる。
 また、中替地の小西モヽヱは、当時の会員や後継者の中でも現在も一人で作歌に励み、伊予市の「青垣短歌会」と交流し、歌道に灯を点し続けている。最近の短歌より一首を紹介する。
 ・道に沿ふはいたか川の澄む渕も霜のあしたは蒸気にけぶる
 次に、故人となった会員の中から二名を紹介する。
○ 重松俊雄
 松前町出身。佐礼谷小学校教員の頃、「せせらぎ」の会員となった。その後、郷里の短歌会「若鮎」の事務局を担当し活躍した。平成二年没。次の短歌がある。
 ・昼げどきうらの畑にヒョが来て赤き木の実をはみこぼしゐる
○ 武田鈴江
 双海町出身。佐礼谷小学校教員の頃、「せせらぎ」の会員となった。後に「愛媛アララギ」の会員となり作歌に精進した。平成二年没、没後同僚の手で「武田鈴江遺歌集」が発刊された。次の歌がある。
 ・ともしびの照る一枝の花ゆれてあたりは暗く寒くなりたり
  その他の活動
 佐礼谷以外の地区は、俳句に比べ短歌人口はごく少なく、また、個人的なレベルの研究にとどまっていた。その内一名を紹介する。
○ 妻鳥暁天(暁太郎)
 俳句の研究と共に短歌の趣味も深かった。時々、二・三人の歌友が集まり短歌を詠み合ったようでもある。詩的な天分に恵まれていたのだろう。次の歌がある。
 ・大君の御盾と散りし喜びの消えてはかなし水泡かなしも