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中山町誌

四、 万歳

 万  歳
 万歳はもともと千秋万歳の略称であって全国各地で行われているが、四国の万歳は大和万歳の系統をひいている。また、伊予万歳は松山市を中心として、各地方で行われてきたようであるが、本町においても、大矢・障子ヶ谷・平沢・福住などの各地区で行われてきた。
 大矢万歳は、松山市湯山の溝辺万歳を受け継いでいるようである。いつから始まったかは定かではないが、明治四二年頃だといわれている。
 楽器は太鼓・三味線・拍子木等を用いて、歌謡に合わせて踊手が頭巾を被り、色物の長襦袢を着、白足袋をはくなど派手な衣装をして踊るのである。踊手は男子が多い。
 万歳は地区内の神事や仏事などの諸行事の余興として行っていたが、催物や娯楽の少なかった時代だけに時には招きに応じて他所へ出かけることもあったようである。町制施行祝賀の時には町内に演舞場を設け、そこへ登場して人気を博したという。
 万歳における歌詞の中で、特に多く人々に親しまれているものをいくつか載せておく。

○ 豊年踊り
 豊年踊りは万歳の中で最も有名なものであり、暦の十二支に則し、子から始まり亥で終わるものである。
 ねーとさよの さよのさ ねんない夫婦はむつまじく
  「又仲良に」 暮らすのが福の神やれ 豊年かいな 「ちょいと豊年じゃ」
 うしーとさよの さよのさ 牛はつくつく言うけれど
  「牛は又」 百姓の宝なるやれ 豊年かいな 「ちょいと豊年じゃ」
 とらーとさよの さよのさ 隣りの宝を数えんと
  「又我が家に」 宝をまねきゃんせやれ 豊年かいな 「ちょいと豊年じゃ」

○ 松づくし
 歌いはやせや  三保の松  一本目には   池の松
 二本目には   庭の松  三本目には   下がり松
  かくて十番まで続き、最後は次の文句で終わる。
 郷土名物 伊予万歳よ それ 松こそめでとう そうらいける

○ 宮島心中
・一つさえの 一つといさ 人によ知られし 宮島のきりょうよし
 自慢のおはつさんがよい (どっこいせ) つめたのが 徳兵さん このなじもうかいな
・二つさえの 二つといさ 文でよ 知らして 忍び合う 出合うよ
 所がしあんばし 話す (どっこいせ) 所が 小松原 この話そうかな
  かくて十番 まで続く。

 大矢万歳において演ぜられた芸題も多く四八種類もあったとのことである。その主な芸題は次のようなものであった。
 ①豊年踊 ②宝ぞろい ③松づくし ④田植万歳 ⑤松島こんたん踊 ⑥奴踊 ⑦宮島心中 ⑧お染久松 ⑨安珍清姫 ⑩八百屋お七 ⑪忠臣蔵 ⑫箱根番所
 なお、この地方の万歳の起源については次のような説もある。約六十五年程前に、野中地区の若衆達が山越(現松山市山越)から伝習してもたらし、後に、野中万歳保存会を組織したという。前者溝辺説は前町誌に、後者山越説は、愛媛県の民俗芸能として県に報告されたものである。両者併せ読むと現在も野中万歳が存続しているわけがうなずけるようである。
 また、村中地区においても「村中万歳」があり、内容・由来等は野中万歳とほぼ同じである。