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中山町誌

第四節 将棋

 将棋も本町においては古来より大衆娯楽の一つとして盛んに行われていたようである。いつ頃から始まったかは判然としないが、明治の初期には既に大いに楽しまれていたようである。
 泉町の天満神宮には明治一四年一〇月と明治三〇年六月記の将棋番付の額が二枚奉納されている。それによると勧進元・行司・頭取・棋士等一〇〇余名の人名が記入されている。このことから察しても当時の盛況が偲ばれ、全町的に多くの愛好者があったことが窺われる。中には相当な実力者もいたことであろう。
 時代によって栄枯盛衰はあったようだが、明治・大正と永続し今日に及んできたと思われる。大正時代には井戸栄蔵、金塚善三、和田茂平らが初段格であったとのことである。
 昭和に入っても多数の愛好者があったが、戦時中は時節柄下火となり、戦後は再び愛好者も増加し、随時相集い技を競って楽しんでいた。
 昭和三〇年前半には、中山町将棋クラブも発足し会長に中塚好峯、副会長に武智義雄を選出、会員も三〇有余名が参加、久万町や伊予市のクラブ員との交流試合も行われていた。その後、会員数の減少と共に数年前に解散の運びとなった。現在は、公民館、文化協会の開催する囲碁将棋大会(年二回)に参加し親睦と研修に努めている。

 天満神宮奉納額将棋番付名鑑(明治一四年一〇月)
 勧進元 玉井 翁
 頭 取(東方) 安川 芳庵  内田作五郎  内田文十郎  玉井 市衛
     (西方) 仙波 盛敏  内田 訓二  三好慶三郎  長岡与三郎 大森 清幹
 行 司  山本 常行  植田 半蔵  佐海喜久造
 番 付
      (東方)      (西方)
 大 関 高田 宏平  津田 甚三
 関 脇 奥邑伝三郎  玉井磨一郎
 小 結 山本準一郎  長岡団四郎
 前 頭 奥村近治郎  大森 与平
  〃  奥村保次郎  平山伊太郎
  〃  大森 静弥  長岡大治郎
  〃  武田 亀七  山本惣太郎
  〃  神山 国吉  河野喜太郎
  〃  今崎大治郎  松田喜三郎
                 (以下略)