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中山町誌

六、 路傍の神仏

 町内の道路や山道を歩いていると路傍のいたる所に神仏が祠られている。年代や創設者の刻まれているものもあるが大半は不明である。
 先祖や縁者の供養、悪病退散、家内安全のため建立されたものであろうが、未だに付近住民によって祀られ、信仰されているものも少なくはない。しかし時代と共に忘れ去られつつある。
 これらの主なものについて大きく分類すると、「地蔵さん」と味ばれるものと「お大師さん」といわれるものが多く、ついで「観音さん」「お薬師さん」「馬頭観音」「お不動さん」「山王さん」「権現さん」等々があり、道行く人が供え物をしたり花を折って手向けたりしている。

 別記(1) 追俵峠にある不動明王由来
 高さ一三〇センチ幅八〇センチ程の大きな石に線彫りで不動明王が刻まれている。「大乗<玄少>典一、字石書寫トウ、導師霊雲、文政四辛巳年四月」の刻字もある。文政の頃柚ノ木に悪病が大流行した時、当時大興寺の住職であった霊雲が疫病退散を祈願し、悪魔を降伏させる仏の象徴である不動明王を祀った。この時霊雲は「大乗妙典経第八巻観音経普門品偈」の文字を小石に一字一字書き、これを壺に納め不動明王の下に埋めたという。記録に基づき昭和五四年不動の下の石を動かしてみたところ、実際大きな素焼のつぼに一杯この石が詰めてあった。今でも墨で書いた文字が鮮かに残っている石が少なくないという。

 別記(2)
 影の浦に大きな阿弥陀堂がある。本尊は六段の台座に坐った三〇センチ程の阿弥陀如来で文政元年の年号がある。その両脇に四段の台坐に立った九〇センチ程の観音、勢至両菩薩の像がある。三体とも全身に彩色が施されているが、素人のように稚拙である。長曽我部元親との戦さのおりの蒲山城の戦死者の霊を弔って祀られたというが、年代的に不自然で伝説の域を出ない。
 お盆には「お施餓鬼」のために盛景寺の僧を招き、近所の人が集まり組中念仏を行う。

図6-5 路傍の石仏地図

図6-5 路傍の石仏地図


表6-1 路傍の石仏表 ①

表6-1 路傍の石仏表 ①


表6-1 路傍の石仏表 ②

表6-1 路傍の石仏表 ②


表6-1 路傍の石仏表 ③

表6-1 路傍の石仏表 ③