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中山町誌

一五、 一二月

 耳ふたぎ餅
 一二月一日は師走入りである。この日「耳ふたぎ餅」を搗いた。悪いことを聞かぬうちに餅を搗くという説もあるが、古老は次のよう語る。「餅の焼いたもので耳をふさぎ、一二月になったらもう悪いことは聞かぬ」と言ったのだと。戦後しばらくはあったという。

 八日吹き
 うそ焼き(田楽焼き)ともいう。これを食べると一年中の「ウソ」が消えるといって、田楽を神に供えて食べたものである。またこの日は、鍛冶屋さんの祭りでもあり「ふいご祭」ともいった。戦後はしていない。

 巳午の日
 新仏の家の正月は、一二月の巳午の日に行う。朝カラスの鳴かないうちに墓に行く。大きな餅を切り藁火であぶり、それを包丁につき刺して左肩越しに後の人に食べさせるのである。
 墓には、栗の木を縛ったものを一対立て、栗の木を横に渡し、ヤマクサやみかんをつけた注連縄をかけるところもある。

 歳の市
 一二月一九日~二五日。年末に立つ市で正月の必需品を購入するための重要な市である。町内は勿論、広田村からも来る大市であった。また、一〇月には牛の品評会や市が伊予市などからも参加して盛大に開かれた。
 牛の市は早くなくなり、歳の市も三〇年程前からなくなった。

 冬至
 二二日か二三日が冬至である。この日かぼちゃを食べると中風にならず、元気に過ごせるといわれた。また、ゆずを入れたゆず湯に入ると中風除けになるという地域もある。

 以上で従来の年中行事の紹介を終えることにする。中山町にも随分多数の風習や行事があったものと思う。われわれの先祖の生活がいかに奥深いものであったかが偲ばれよう。しかし、これ等の行事の多くは、戦後、時と共に神への信仰が薄れたり、科学の発達により生活様式が変わったり、若者の流出で人口が減少したりして稀なものになったり或いはなくなってしまったものもある。
 反面、最近になって全国的に興ってきた「村おこし」の一環として、本町でも新しい行事が生まれてきた。それが、年中行事として定着するか否かは予測しがたい面も多分にあるが、次にあげておくことにする。