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中山町誌

九、 七月

 半夏生
 夏至から数えて一一日が「半夏生」で俗に半夏といったものである。昔から農家では「半夏半作」といってそれまでに田植えを終わらせた。
 半夏には禁忌が多い。ビワ・スモモなどの生の果物を食べてはいけない。天から虫が降ってきて果物の中に入っているなどといわれた。梅雨上がりだったので、「昔の健康管理だったのでしょうなあ」と古老は説明する。

 虫送り
 旧六月 土用の入りより三~五日間(新暦は七月)
(一) 土用入りの当日、区長の召集で地区内全戸より一名宛出席する。太鼓と念仏鐘を打ち鳴らし「ナンマイダンブツ」と念仏を唱えて祈祷し夕刻解散する。
(二) 念仏祈祷の宵から三~五日間実施する。念仏は五穀豊穣の祈願でもあった。二組に分かれ、太鼓・念仏鐘を打ち「松明」を持参して、田んぼ道を「ナーマミドー」と唱え歩く。大川の川原に着くと、「松明」の火が鎮まるまで振り続けその後解散する。
 「松明」の火に害虫(蛾)が群がり焼け落ちる様は実に小気味よいものであった。約五〇年程前誘蛾灯による害虫駆所が行われたしてからは、この行事はなくなったと古老は話した。  (この例、梅原地区)

 土用
 土用の丑の日には、鰻をとって来て食べる。これは夏病を防いたり、夏痩せしないためといわれている。鰻がいない時は、川魚を代わりに食べる風習もあった。

 夏越し
 これは普通七月三〇日の行事である。社殿に茅でできた大きな輪をつくり、それを正面に飾りつけ一年の前半を平穏に過ごせたことを神に感謝し、後半の無事を祈る。その後、この輪を男は左回りで三回、女は右回りで三回くぐって参拝を終わる。
 なお、前もってお宮から人形の型をした紙(オヒナガタともいう)を各家に配布しておく。このオヒナガタに自分の年令・性別を書き、前日それを寝床にしき、今までの穢れや病気を移す。オヒナガタに人間の身代わりになってもらうのである。このオヒナガタの処理は神社によりちがう。

 夏祭り
 泉町にある厳島神社の祭日である。以前は七月一七日であったが、現在は町起しの一環として、七月の最終土曜日となった。
 当日は神社において夏祭りの儀式を行うと共に町内あげての夏祭りとなる。街頭は奇麗に装飾され、各町目ごとに半月~一ヶ月かけて出来上った「造り物」が展示される。また、夕方より各種団体勢揃いの中山音頭の踊りが町内を練り歩く。切れ目のない人出、数知れぬ屋台店など、町内は一日中ざわめき祭り一色につつまれる日である。