データベース『えひめの記憶』

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中山町誌

一、 正月の準備

 餅つき
 餅つきの期日は特に決まってはいないが、一二月の後半二四日から三〇日までに搗くところが多い。この時、水餅・かき餅も含めて、一俵から二俵くらいの餅を搗き、早朝より一日中かかったものである。また、巳午の日は、この年亡くなった人の正月であるから、餅つきを避けた。

 幸木迎え
 幸木とは、門松をつくる際その台にする割木のことである。年末に、この門松の台にする松の木や櫟の木を切りに行く。これを「サイワイ木」または「オサイワイサン」といっている。
 幸木については地域により、また年代によりいろいろと風習が違う。ある地区では、一二月一日、うるう年には一三本、平年には一二本切って帰る。月に一本の割合いである。また別の地区では、年末の二八日頃主人が切りに行き、正月の神様を迎えるところもある。この幸木は保管しておき、毎月一本ずつ焚いていたが、現在では一度に焚くようになったという地区もある。

 門松
 二八日頃、「幸木」を土台にして、そこに松や竹の枝を飾ったものを戸口に一対立てる。地区によっては、松の枝を男松・女松にするところもある。幸木には、三ケ日の間、朝・昼・晩とご飯を供える地区もあった。
 幸木の行事とか門松などは、昔はどこの家でも盛んにやっていたようである。しかし、戦時中やめたり、松の木を大切にする傾向が強くなったりして、現在では門松でさえ個人の家ではほとんど立てなくなった。

 お飾り
 お飾りのことを「注連飾り」ともいう。一般的に、お飾りは「エビジメ」「ナワジメ」「ワジメ」の三種類がある。「ナワジメ」には足をつけ、「エビジメ」は恵美須様や大黒様に飾る。注連縄には足をつける。家によって違うが、七本、五本、三本とくりかえし、三回位すると長さがよくなる(平沢地区)。
 お飾りは、ヤマクサ、カボスなどをつけ、玄関・床の間などに飾る。簡単なものは、神様・井戸・農具・うす・機械・なり木など多くのものに供えるが、恵美須様には特別なお飾りをするところが多い。
 また、お飾りに、餅・栗・柿などを紙に包んでつける地区や家庭もある。

 大晦日
 一年の最終日(一二月三一日)大晦日は「オオツゴモリ」というが略して「オツゴモ」ともいう。この日は、門前の幸木の上に松や竹を飾ったり、正月料理をつくったりして、正月の準備をすべて行う。
 大晦日の夜は、新年を迎えるために年越しそば等を食べて、遅くまで起きている。佐礼谷地区では庭口の戸などを明けておくと幸せが入ってくるという言い伝えもある。

 鍬・鎌さま
 「クワ・カマサマ」という。大晦日の日、鍬や鎌などをきれいに洗って一ケ所に集め、お飾りをつける。一年中お世話になった感謝の気持ちをもって、お祀りをする。この日の農具のことを、「クワカマサマ」とか、「ショドウグサマ」とかいうのである。

 縁起物売り
 大晦日の一二時過ぎ、おそくとも午前三時頃までに、町外より正月用の縁起物を売りに来る地区もあった。恵美須・大黒・おきあがりこぼし・だるまなどである。しかしこれらは、大正時代で姿を消したようであるが、ところによっては戦後も、町内の子供が縁起物売りをし、昭和三五年位まで続けていた地区もある。(栃谷)

 歳徳神
 正月の神様は、「歳徳さん」と呼ばれている。そして一五日までは家におられると考えている地区もある。他の神様のように特別な神棚はないが、床の間にその座をつくり、他の神様同様に、米・雑煮・つるし柿・ヤマクサなどをお供えした。もちろん正月の神様の中心である。
 正月神(歳徳神)は、人里離れた彼方(恵方・明方)から、草々の土産物を携えて人の世に降臨し、家々に来訪する来訪神と考えられていたようである。また、稲をはじめ、海山の幸をもたらす福神であり、生産神的な性格を保持しているとも考えられている。この考え方は、後で、社日・オサイバイサンなどと関係を持ってくる。