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中山町誌

三、 ふだんの食事

 食事をするときは、箱膳を用いていた。これは、各自の膳の中に食器を入れてあるもので、食事のとき膳の蓋を返して箱の上に置き、食器を並べて主婦の給仕を待つのである。給仕は年寄りから先にし、男・女の順に配った。食事が終ると食器に熱い茶を入れてそのお茶を飲んできれいにして箱膳に仕舞った。
 農家では、普通一日四食であった。朝起きて食べるのを「朝ざ」といい、牛馬の草刈りや、その日の準備など一仕事をしてから食べるのである。その間に主婦は朝飯や弁当の支度をした。
 昼飯は普通一二時前後に食べたが、四回食の時は少し早目に食べた。太陽の場所や腹加減で刻を読んだ。お茶飯は午後三時頃に食べ、四回食の時だけに食べた。「お茶を飲む」ともいい、あいさつことばとして使われることが多かったが、米を主食とする時代となるにつれ、このお茶飯は次第になくなった。
 夕食は仕事を片付けてから食べるので時間は一定していない。夜飯を「しまう」ともいい、これも夜のあいさつことばに使われた。「おしまいなさい」・「おしまいたかな」・「しもたかの」という具合に使われたもので、この風習は今日でも残っている。
 ちなみに四回食の時は、春から秋にかけて昼飯を早目にとり、夏は昼寝をするのが普通で、昼寝から起きると丁度お茶頃になっているので、食べ直して仕事にかかることもあった。また、お茶のことを「やすば」ともいい、現在でも使われている。時に、夜業仕事をしたときは「夜食」をとることもあった。