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中山町誌

二、 はきもの

 (1) 下  駄
 昔は下駄はすべて自家製で、ヒノキ・マツなどの台にシュロ・布などのはなおをすげてはいた。
 明治になって下駄屋が現れ、桐材も用いて、婦人用には表つきやぬり下駄・さし下駄などが現れた。
 さし下駄に対して、そのころまでの下駄をひこずり下駄といった。表つきは戦時中に姿を消したが、高下駄や先皮付きは昭和三〇年位まではいていた。女子のコップリ下駄はくり抜き下駄の裏に鈴を入れたもので七五三のお参りでよく見かけたものである。
 太平洋戦争後着物が姿を消すと同時に下駄も姿を消し、はきもの店でも下駄を扱うところは珍しくなった。

 (2) ぞうり・わらじ
 昔から一般に自家でわらを打って作ったちりぞうりをはくのが普通であった。足なか は田の仕事によくはいた。こうしたはきものは、簡単なものは夜業に作ったものであった。竹の皮で作った竹皮ぞうりは上等で、その後麻裏ぞうりやせったといわれる高級品も出廻った。
 大正に入ってから八ツ折れが現われ、昭和になるとゴムぞうりが流行し、野良仕事にもよく利用された。
 わらじは昔から伝わり、大正に入って地下足袋が出廻るまで、旅や仕事によく使用された。然し、現在ではほとんど見かけなくなった。

 (3) 靴・スリッパ・サンダル
 皮靴は明治になって欧米諸国から日本に入ってきたものである。大正時代にゴムぐつが現れ、はじめはゴムだけのくつであったが、のちに上は布製、底はゴム製という現在のズックぐつや、主に作業用としてたび底にゴムをのりづけした地下足袋が現れた。
 なお現在は、運動用としてスパイクぐつ・登山ぐつなどその用途により各種の靴が用いられている。
 スリッパは大正中期に皮製の外ばきスリッパが使用され始め、後に内ばき用として布製スリッパも現れた。
 太平洋戦争中は、マツ・スギ材で作ったつっかけが流行した。その後化学製品やゴム製品が出廻って、サンダルが庭ばきからふだんの外出用として広く使われるようになった。

 (4) た  び
 昔のたびはひも付きであったが、明治末期になるとコハゼのついた便利なものができた。太平洋戦争後ゴムで止めるものもできた。
 足の大きさは文数で呼ばれ五から十二文で一文に満たないものを何文半と呼んだが、例外として九三・九七・十三・十七という文数があった。
 日常は男は黒か紺の無地、女は白や赤など色物が用いられたが、婚礼の時は白たびをはいた。
 靴が普及してくると靴下をはく者が多くなり、女子はスカートの関係で長い靴下に短い靴下カバーを重ねてはいた。現在は、パンティストッキングも現れ、足をきれいに見せる靴下が出現している。