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中山町誌

八、 PTAの成立と発展

 PTA(父母と先生の会)は戦後新しく発足した成人教育団体である。
 もともと戦前においては、学校教育後援会とか父兄会と称し、各学校を単位として主に学校施設設備の援助にその役割を果たしていた。
 昭和二一年三月、アメリカ教育使節団が来日し、教育は学校のみに限らず、家庭・地域社会の協力において行われるべきだとの報告書を提出した。この報告書に基づいて、文部省も二二年以降PTAの啓蒙普及に努力し結成の促進を図った。
 このような全国的気運の中にあって、本町においては、昭和二三年頃から各学校の保護者が中心となりPTAが結成されたのである。
 PTAの目的は「父母と教員とが協力して家庭と学校と社会における児童青少年の幸福な成長を図ること」であり、二九年の第一回愛媛県PTA大会で、「われらは文化愛媛建設の基礎であり、教育推進の母体であるPTAの重大使命を再確認し、決意を新たにして、教育の機会均等と教育環境の整備並びに浄化について、児童生徒・教師・父母の三者が一体となり、実現することを期する」と宣言した。以後、PTAは県下最大の成人教育団体として体質改善に努めつつ、学習活動・教育活動を重視する一方、子供の幸せを念願しながらの整備活動に力を入れてきた。
 昭和三五年四月には、中山町内各単位PTAの連絡調整の役に当る「中山PTA連絡協議会」が作られ、会長に宮内正夫が就任し、事務局は中山中央公民館内に置かれた。
 昭和三九年五月、中山町愛護班連合会が結成された。PTAが中核となって班員の学習活動に積極的に取り組んできた。しかし、昭和五九年に、愛護班活動の普及発展に伴って愛媛県愛護班連絡協議会が結成され、PTAから独立した。
 その後のPTAの活動も、社会の進展、複雑化によって困難な面がいろいろと出てきてはいるが、子供たちの幸せのために家庭と地域が協力していく事は必要であり、実際に工夫努力して活動を続けている。