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中山町誌

二、 公民館の設置と活動

 戦後、社会教育の中心的機能を果たすことになった公民館は、我が国独自の構想により文部省が設置を提唱した社会教育施設である。
 昭和二一年(一九四六)七月五日に発せられた文部事務次官通牒によって、その構想が次のように示された。
 一、全国の各市町村に設置されるものである。
 二、住民が常時集まって談論し、読書し、生活上・産業上の指導を受け、お互いの交友を深める場所である。
 三、いわば郷土における公民学校、図書館、町民集会所、産業指導所などの機能を兼ねた文化教養の機関である。
 四、青年団・婦人会など文化団体の本部ともなり、各団体が相提携して町村振興の力を生み出す場所である。
 昭和二四年(一九四九)六月、単独立法として「社会教育法」が制定され、公民館設置と運営に関する基準が定められ、公民館は急速な勢いで全国的に普及していった。
 本町においても、昭和二四年八月中山・佐礼谷両町村とも初の公民館が生まれた。公民館職員として館長一名、主事七名、副主事七名、書記一名を置き、中山町では仙波文翁、佐礼谷村では桜木寛一郎が館長となった。
 当初は、日常生活に直結した地域文化の振興という幅広い活動を目指し、町づくり村づくりの運動と結合したことは時代の要求に応えたものだった。反面、地方財政の貧困と相まって施設・設備が整わず、単に事業活動にのみ重点をおいた、いわゆる精神的な公民館活動となった。具体的には、館長各主事が中心となり、幻灯機をもって各部落へ夜間出張し、公民館の啓蒙を盛んに行った。
 昭和三〇年二月一日、中山町・佐礼谷村が合併、同年六月七日、「中山町公民館設置条例」が制定され、各校区毎に次のように公民館が設置された。
 中山町大字出渕二番耕地一八〇番地第二に中央公民館
 中山町大字中山午九八六の一番地に永木分館
 中山町大字出渕三番耕地二六番地に野中分館
 中山町大字佐礼谷甲八二五のロの二番地に佐礼谷分館
 そして同年八月五日、中山分館が設置された。合併後の新体制の下の公民館活動としては、秋祭りの統一、結婚改善運動、時間励行運動等が取り上げられた。
 結婚改善運動第一号実践者は、佐礼谷地区の藤本寿美雄夫妻であった。当時同運動の推進委員であった久保田一雄の奨めにより、昭和三五年一〇月の挙式で実行した。式の列席者は当事者と媒酌人の他、両家の身近な家族三・四名、服装も平服に近いものだった。披露宴も自宅で行い、料理は三百円の二重ねの折だけだった。新婚旅行もしなかった。しかし「今、子供達が結婚するようになって、当時とは較べものにならないほどの豪華な結婚式が普通になったが、自分達の結婚式が簡素で残念だったとは思わない」と語っている。
 中山地区でも豊谷修一郎が中心となって結婚改善運動が進められ、花嫁衣裳を公民館で購入し、安い使用料で貸出したりした。しかし長続きせず、しばらくして廃止された。その他の校区も同様な活動を行った。
 そのほか、公民館の事業としては駅伝競争、文化講演会を行い、青年団・婦人会等の連絡調整に当たった。社会体育、産業教育にも力を入れた。
 昭和三三年(一九五八)四月、公民館専任主事が設置され、三五年からは非常勤職員としての身分が確立された。
 昭和三三年九月三〇日公民館設置条令の一部が改正され、分館の名称が支館となり、支館長・主事の設置が行われた。
 昭和三四年五月、公民館報「なかやま」が発行された。
 昭和四〇年(一九六五)に、町民待望の中山町公民館兼中山町民会館が新築着工された。
 当時の教育長兼中央公民館長であった久保田一雄は、着工の際館報の中で、「生涯教育の中で今欠けているのは、本町活動の中心たるべき青壮年、婦人いわゆる一般成人の研究・修養・娯楽の拠点のないことである。公民館ができると、会議室・和室の結婚式場兼会議室・講議室・図書室・待合室等、研修にも休息にも利用でき、階上は大ホールで約七百人の集会も可能、映写等にも利用できるので、本当に町民研修娯楽の中心拠点となると期待していただきたい。また、本町有史以来の大事業なので町民に協力を」と呼びかけた。
 翌四一年七月に、工費二、三九三万円、鉄筋コンクリート二階建て三八三坪で、中山町大字出渕字門前に竣工した。
 四二年より公民館モデル分館が設定され、町民と密着したきめの細かい公民館活動を目指した。
 四四年には、中山町が総合社会教育モデル町に指定され、従来からの事業を推進発展させ、各種団体との連携のもとに地域活動を熱心に展開した。
 昭和四五年、中山町公民館は、県社会教育課の推薦によって、第二三回全国優良公民館として文部大臣表彰を受けた。全国で一三館中の一館としての栄誉ある受賞であり、皇居で天皇陛下に拝謁を賜った。
 四〇年代から力を入れてきた自主的公民館活動の推進のため、地区集会施設が次々と整えられ、五三年度にはその年建設された六施設を加えて一九ヶ所となり、地区の集まりに大いに活用されている。その後もますます集会所は増加している。
 昭和五三年(一九七八)には、社会教育の拠点として今まで大いに役立ってきた中山町中央公民館(門前)とともに、さらに設備の整った中山町農業総合センターの建設が計画され、翌五四年七月、泉町三丁目に新築落成した。
 この施設は町民センターともいえるもので、総事業費四億三、一〇〇万円、建築延面積三、一七九平方メートル、三、四階にあたる研修ホールはスロープ式で、五〇〇人分の固定椅子が設置されている。二階には結婚式場があり、また被露宴にも使用できる中ホールも完備している。
 こうして、公民館はスタート時点では、予想もできなかった程の施設設備を充実させ、社会教育の重要性が認識される中で大きな役割を果たすことになった。
 平成五年度における中山町の公民館の事業計画は表3-4のとおりである。
 中央公民館の他に各校区毎に公民館があり、それぞれに事業計画を立てている。一例として佐礼谷公民館の平成5年度の事業計画を掲載する。


表3-4 中央公民館

表3-4 中央公民館


表3-5 佐礼谷公民館

表3-5 佐礼谷公民館


歴代公民館長

歴代公民館長