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中山町誌

一、 中山高等学校

 校章は、「高」の文字にローマ字のHを三つ組み合わせてできており、
HEAD  (ヘッド)
HEART (ハート)
HEALTH(ヘルス)
を示したものである。上部のHが三角形になっているのは山を表わしたもので、中山高校の立地条件を象徴している。
 昭和二四年一〇月、開校一周年記念に校章を制定した。(一回生 寅岡高裕の図案)

  校  歌
        大野  静 作詩
        清家嘉寿恵 作曲

一、清冽の流れさやけき 中山に高原ひらけ さっそうの風吹き通る
   瑞穂豊けく人等心も直し 伝統を継ぎてし行かむ あゝゆかし我等が母校
    我等が母校

二、秦皇の山気は薫り 蒼穹晴れて 輝く希望 若き命の胸に染め
   歓喜あふれて仰ぐ文化の光 酎み交す真理の泉 あゝたのし我等が母校
    我等が母校

 昭和二二年四月に実施された学制改革(六・三・三・四制)の基本精神の一つ「教育の機会均等」を実現すべく、地元に高等学校を設立しようとの合言葉で、地域住民の熱意と願望を結集して県当局に要望した結果、昭和二三年九月一〇日、愛媛県立中山高等学校定時制課程(定員普通科五〇名、農業科五〇名)として設立認可され、中山小学校を仮校舎として一〇月一五日、第一回入学式を行う。入学生徒数六五名。
 昭和三一年四月一日、愛媛県立中山高等学校全日制課程(定員普通科一五〇名)となる。
 昭和五八年四月一日、全国唯一の特用林産科を設置(定員普通科九十名、特用林産科四〇名)し現在に至る。
 特用林産科では学校農業クラブ活動の測量競技での活躍が目覚ましく、昭和六三年、松江市での大会で全国最優秀となり全国制覇の偉業を達成した。その後県大会で六年連続最優秀賞を受賞した。

 1 定時制高校として創立

 創立時の校長事務取扱 森井敏明は「当時の中山は犬寄峠の難所があり、進学は下宿となり多額の費用がかかるため、高校へ進学する者は、約二〇%くらいでありました。この機を逸しては永久に中山に教育の機会均等の道は開けないと考え、―中略―、創立当時の職員は専任五名、兼務五名、生徒は一年生六五名、一学級のみで発足しました。いかんせん早生児であるため産着の準備もなく、全くの裸であり、中学校の設備でまかなうという調子で、愛媛県立中山高等学校という校標を掲げることに迷った実体です」と中山高等学校三〇年誌に著している。
 森平茂左衛(町長)をはじめとする有志各位、町当局、町民の教育に対する情熱が実を結び、定時制高校として発足したが、校地の選定、校舎の建築、生徒の確保等の山積する諸問題を抱えての前途多難な船出であった。

 2 全日制高校として新発足

 第八回卒業生の亀岡和雄(現松山東高校教諭)は次のように回想している。「当時、学校側の私たちを育てあげようという意欲には、並々ならぬものを感じた。朝は早くから英語・数学の補習、野中小学校までのマラソン、その他学校行事を通して、慈愛のこもった指導をして頂いた。その先生方の姿勢にただただ頭が下がる。開校以来、我が母校に受け継がれてきたものには、それなりの良さがある。純朴な気風、質素な生活態度、勤労をいとわぬ気質、これらの伝統をさらに育て、大きく発展してゆく母校の姿を祈念したい」
 この頃、本館の建築、北校舎、南校舎が完成し、生徒数も増加の一途をたどった。生徒は中山高校生としての自信と誇りに満ち、「自立・向上・誠実」の校訓の下、充実
した生活を満喫した。

 3 特用林産科の設置

 新時代の農林業に対応でき得る有能な人材を養成し、地域農林業の発展に寄与することを目的として、特用林産科が、昭和五八年四月一日創設された。また、最新の施設設備を完備した寄宿舎が新設され、愛媛県特用林産教育振興協議会より奨学金が給付されることになった。
 昭和五八年五月一七日、第一回入学生四〇名を迎え特用林産科創設記念式典並びに寄宿舎落成式典が盛大に挙行された。
 特用林産科の目標を「シイタケ栽培を中心にした食用キノコ類・クリ・タケノコ等、特用林産物の栽培技術及び経営能力を習得し、新時代の農林業に対応できる後継者・技術者の養成」に置くとともに、農場訓「山を愛し土を愛し きのこを愛し 友を愛し 勤労を愛し 心豊かな人間になろう」を設定した。
 特林教棟・実験実習教棟の新設、追俵農場の改植整備も着々と行われ、昭和六〇年には特用林産科としての体制が整った。実験実習、体験実習が強力に推進され、地元先進農家現場実習、静岡県伊豆地方の現場実習、鳥取県の現場実習などユニークな教育実践と地域に根ざした特用林産科教育が推進されている。特に県内初のヤナギマツタケの栽培市場化の成功や経済連との連携による菌床シイタケの研究、キノコ加工品の特産品開発研究、山菜類の研究、からには新しい作目の研究など地域の課題をとらえた研究を実践し、地域の期待に応えるべく努力している。

 4 現 況

 町の過疎化や少子化と共に、次第に生徒数が減少し、平成四年四月には普通科が一学級となった。
 平成六年四月に髙石勤校長が赴任し、教育目標である「心豊かで活力に満ちた学校づくり―やる気・根気・元気― 逞しく生きる力を培う教育の推進」の具現化を目指して、「中山高校活性化委員会」を組織した。中山高校の活性化に生徒・保護者・教職員がそれぞれの立場で何かできるかを検討し、いかにして実践するかなど真剣に取り組んでいる。

 5 生徒の活動(部活動、クラブ活動、その他)

 小規模校の制約はあるものの、生徒たちは自主的に活動している。創部・廃部の変遷をたどり現在行われている部活動は、運動部が野球、バレーボール(女)、陸上、サッカー、ソフトテニス、バスケットボール(女)、ソフトボール(男)、卓球、バドミントン、柔道、剣道。文化部が美術、写真、放送、ブラスバンド、新聞、VYS、茶道、国際研究。生産部は手芸、草花園芸、情報処理。計三分野二二部。クラブ活動は体育・文化・生産の三分野、一六のクラブからなっている。そのほか生徒たちは、生徒会・農業クラブ・家庭クラブ活動等でそれぞれ青春を謳歌している。特筆すべきは農業クラブ測量競技平板の部で、昭和六三年度に全国最優秀賞並びに文部大臣賞に輝き(坂本、定本、神野)、その記念碑が校門左横に建立されている。この年より連続六年、県大会最優秀となり全国大会へ出場し、平成五年度には全国第二位(優秀賞)を獲得した。農業クラブ意見発表でも県最優秀賞を獲得し四国大会に出場している。
 囲碁部は、昭和五三年度県大会で女子個人・団体共に優勝し、全国囲碁選手権大会で団体七位と健闘した。
 陸上部は四〇〇m、八〇〇m、槍投げで四国大会へ、駅伝では昭和六二年度に県選抜メンバーとして全国大会へ出場した。
 野球部は軟式の時の昭和四二年に四国大会で準優勝した。昭和五〇年、硬式野球部創設の機に地域の人々の肝入りで、体育後援会が発足し野球部ほか運動部の活動に大きな励みとなっている。その後、平成元年夏季大会で初のベスト8に進出し、平成二年秋季大会三回戦で松山商業を五対四の逆転で破って再びベスト8入りし関係者を大いに喜ばせた。

 6 研究活動(研究指定校など)

 愛媛県研究指定校として、研究指定を受けたものに次のものがある。
 視聴覚教育研究指定校(昭和四五年度)
 生徒指導研究指定校(昭和五〇年度)
 放送教育研究指定校(昭和五四年度)
 進路指導研究指定校(昭和六〇年度)
 同和教育研究指定校(昭和六一・六二年度)
 地区別同和教育研究協議会公開授業(平成六年度)
 特に、二年間にわたる同和教育に関する研究は、国民的課題とされている同和問題解決のための教育の在り方についての研究・実践を積み重ね「確かな人権意識に支えられた人間教育が展開される中でこそ、差別を見抜き、差別を許さぬ生徒が育つし、教師に内面の変化をもたらした研究実践の過程を貴重に思う」と発表している。

 7 特色ある行事

 「兎飼い運動」
 昭和二四年、佐伯進校長の発案指導の下、肉用・毛用ウサギ(アンゴラウサギ)の飼育が始められた。
 佐伯校長は、「校舎建設の資金作りにウサギを飼って学校に寄付してもらうよう」町内の家々を依頼して回った。また、生徒には、「ウサギを飼い、売ったお金は授業料にするよう」指導した。佐伯校長は〝ウサギ校長〟と慕われ、〝一家一羽〟のスローガンの下、町内の多くの家庭でウサギが飼われ、校舎建設資金に提供された。この運動が契機となり、昭和二六年に本館校舎が落成した。
 また、アンゴラウサギの長毛を利用し自家用に毛糸やセーターなども作られた。

 地区別保護者懇談会
 昭和二三年、篠崎鷹近二代目校長の時、第一回地区別保護者懇談会が、中山・出淵、野中、佐礼谷、永木、内子の各地区で行われた。昭和五三年に伊予・松前地区が加わり、さらに昭和五八年に全国で唯一の特用林産科が設置され、翌年には寮生保護者会が始まり、現在も継続している。

 「合唱コンクール」
 昭和五一年六月、佐伯蔵、八代目校長の時、第一回校内合唱コンクールが実施された。全校九クラスの生徒が、ショートホームルームや放課後に自主的に練習を重ねてきた成果をギターや笛の伴奏で発表した。
 課題曲は「校歌」が、自由曲は、その時代を反映した「無縁坂」・「遠い日の歌」・「季節の中で」・「心の旅」・「なごり雪」・「何も言えなくて…夏」などの曲が歌われてきた。
 平成六年度は、教職員チームも「カラヤン宮内」(教頭)の指揮の下「校歌」と「若者たち」で参加して、合唱コンクールを盛り上げた。
 今後は、本校独自の学校行事を創設し、高校時代の良き思い出ができるように努力していきたい。

中山高等学校 校章

中山高等学校 校章


中山高等学校校歌

中山高等学校校歌


中山高等学校年表 1

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中山高等学校年表 2

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中山高等学校年表 3

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中山高等学校年表 4

中山高等学校年表 4


中山高等学校年表 5

中山高等学校年表 5


中山高等学校年表 6

中山高等学校年表 6


中山高等学校年表 7

中山高等学校年表 7